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2013年7月 2日 (火)

石川啄木伝 東京編 139

 この1年間についても振り返っておこう。
 1月は冬の小樽で失職中だった。家族は極貧のなかにあえいでいた。節子のただ1本の帯さえ質屋にあった。啄木は西川光次郎の社会主義に惹かれつつ、東京に展開する新文学思潮・自然主義に最大の注意をはらった。東京に引かれつつ釧路新聞に就職した。流氷が湾を閉ざし、零下30度にもなり、大風雪も襲来する釧路。そこではすぐれた論説を次々とものし、敏腕をふるったが、他方柳暗花明の巷に出入りすることを覚えた。道念は融けていった。
 釧路生活で心身症のような症状を呈し始めた啄木はそこを脱出した。老母妻子を函館の宮崎郁雨にあずけ、単身で上京した。
 思想が核にあってこそ、構築力を要する詩や小説を生み出しうる啄木が、天才主義という思想上の核を失い、今や文学的構築力を失っていた。思想とは言えない自意識としての天才意識があるだけだった。啄木にとって天才意識を失うことは命を失うに等しかった。だからこの意識とそれに関連する自己の諸側面を直視することだけは、絶対に出来なかった。ところが悪いことに日本的自然主義の最高の価値は自己凝視・自己告白にあった。天才意識を清算できない啄木に自然主義的作品を書くことは不可能であった。
 それなのに自然主義をまねつつ、闇雲に小説を書いた。売れなかった。金が入らなかった。下宿を幾度も追い出されそうになった。金田一京助の友情と援助で日々をごまかした。森鷗外をはじめ白秋・勇・万里・杢太郎・左千夫・信綱等、また森田草平・栗原元吉・生田長江等との新しい出会いがあった。旧知の上田敏・与謝野寛・晶子夫妻はじめ・平野万里・・・等々との旧交も復活できた。

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