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2013年10月16日 (水)

石川啄木伝 東京編 180

 3月9日。
 出社の途中大学館へゆくと、急がしくてみないでゐるからアト五六日たつたら来てくれとの返事。
 「鳥影」はとても単行本にできる作品ではない。大学館はもてあましたのだろう。これから何度も先延ばしし30日に原稿を帰してよこす。先延ばしの度に啄木の苛立ちは募る。家族を呼ぶとて金を作り、借り、浪費する。もし大学館で出版したとしても(よほど目のない編集者でなければ出版はありえないが)、その金はまた浪費するに違いない。ともあれ、10日までに下宿代を入れる約束をさせられて啄木は大学館を金づると考え、そこから入る金を今一番当てにする。
 同9日の日記つづき。
 社で中村蓊といふ人と話した。生田森田辻村君らの友人で文学士、予は忘れてゐたが、以前二三度逢つたことのある人だ。
 中村蓊(しげる)は漱石門下である。森田(草平)は言うまでもない。啄木の「鳥影」を東京毎日新聞に世話してくれた栗原元吉も漱石門下である。そしてこの年1月25日から漱石は朝日文芸欄を開いて主宰している。啄木が特に親しく目をかけてもらうことになる朝日新聞の渋川玄耳・弓削田精一・池辺三山・杉村楚人冠らは漱石と親しい。
 その上啄木は経済的理由がきっかけとなって今観潮楼歌会から離れ始めている。「スバル」に拠る良家の子弟木下・北原・長田らは耽美派を形作りつつあり、啄木はこの運動に疎隔を感じ始めている。
 東朝(とうちょう)(東京朝日新聞の略称。以下時に応じてこれも用いる)就職と経済的・文学的理由によって、啄木は今森鷗外の圏内から夏目漱石の圏内に居場所が移りつつある。

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