« 石川啄木伝 東京編 200 | トップページ | 石川啄木伝 東京編 202 »

2013年11月28日 (木)

石川啄木伝 東京編 201

 4月10日
 近頃人生観としての自然主義哲学の権威がだんだんなくなってきた。そして自分は自然主義の傍観的態度に満足できなくなってきた。作家の人生にたいする態度は傍観ではいけぬ。作家は批評家でなければならぬ。などと記す。
 この立場で書いたのが「足跡」であった。あの程度の「批評家」であれば、あのような作に結果し、それ以上の展開は不可能であったこと、すでに見たとおりである。しかし啄木が自然主義の行きづまりを直観していることはたしかである。
 つづけて理想に言がおよび、こう書く。
 Riso sono-mono wa yahari ‘ Life illusion’ da to site mo, sore nasi ni wa ikirarenu no da ―― Kono hukai Naibu no Yokyu made mo suteru to nareba, Yo ni wa sinu yori hoka no Miti ga nai.
 啄木は「理想」すなわちロマンチック(究極的にはかれの場合それは「天才」意識)を捨てられないのだ。

« 石川啄木伝 東京編 200 | トップページ | 石川啄木伝 東京編 202 »

文化・芸術」カテゴリの記事

コメント

コメントを書く

(ウェブ上には掲載しません)

トラックバック

この記事のトラックバックURL:
http://app.cocolog-nifty.com/t/trackback/533861/58603502

この記事へのトラックバック一覧です: 石川啄木伝 東京編 201:

« 石川啄木伝 東京編 200 | トップページ | 石川啄木伝 東京編 202 »