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2013年11月30日 (土)

石川啄木伝 東京編 202

 こう記してからかれは出勤する。帰宅してこうつづける。
  Kesa kaite oita koto wa Uso da, sukunaku to mo Yo ni totte no Dai-itigi de wa nai.
「今朝書いたこと」のうちのなにを「噓だ」というのか。「それ〈理想〉なしには生きられぬ」をめぐるくだりであろう。
 それは「噓」ではないまでも「予にとっての第一義ではない。」人生上のあるいは文学上の「理想」など、いったいなにするものぞ。なんの偉さや尊さがそこにあるというのか。自分は日頃そう思っているではないか。(4月7日にも書いている。「Ningen no saigo no Hakken wa, Ningen sore jisin ga tittomo eraku  nakatta to yu koto da !」と。)
 「理想なしには生きられぬ」というのは啄木の本音だ。けっして「噓」ではない。しかし釧路時代以来「理想」がすっかり壊れたことも事実である。だから自然主義に接近したのであった。    旧本音と新建前の間で啄木はさまよっている。これは消耗するだけである。これに気づいたのであろう。突然論を転ずる。

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