« 石川啄木伝 東京編 202 | トップページ | 石川啄木伝 東京編 204 »

2013年12月 2日 (月)

石川啄木伝 東京編 203

 

 Yo wa tada Ansin wo sitai no da ! ―― Ko, Konya hajimete Ki ga tuita.
 これはどういうことなのか。自分の心がのんきなのは通勤の往復の電車の中ばかりだ。家にいると、ただ、もう、何のことはなく、何かしなければならぬような気がする、という。そのくせ「何か」とは何かがわからないのだという。
 しかしこれは啄木が自らをあざむくことばである。この10ヶ月間かれの全力を注いできたもの、家族の上京が迫ってますますその必要が切迫してきたもの、それは(売れる)小説を書くこと以外にない。しかしこれをつっこむなら、「小説が書けない我」「天才ではなかった我」という自己の「正体」を直視することにつながってゆく。
 かれはその淵のふちを用心深く遠まわりする。「ナニヲミテモ、ナニヲキイテモ、ヨノココロワ マルデキューリュー(急流)ニノゾンデイルヨーデ、チツトモシズカデナイ、オチツイテイナイ。ウシロカラ オサレルノカ、マエカラヒツパラレルノカ、ナニシロ ヨノココロワ シズカニタツテイラレナイ、カケダサネバナラヌヨーナ キモチダ。」小説が書けないという袋小路を啄木はめくらめっぽうに走りまわっている。何かしなければならぬ、何かしなければならぬ、と。
 こんな気持にどうしてなったのか、「後から押」してくるものをたずねてゆけばわが「正体」にいたるであろう。啄木は自分が何を前方に求めているのか、という問いの立て方をする。つまり袋小路で駈け回っている自分がなぜ駈け回っているかをたずねずに、何を追いかけているのかと自問する。問いははっきりと「正体」からは遠ざかるように発せられている。「ソンナラ ヨノモトメテイルモノワ ナニダロー?」 名か、事業か、恋か、知識か、どれでもない、金か、それは欲しいが目的ではなく手段にすぎぬ。やっぱり自分が求めているものは「安心」だ。

« 石川啄木伝 東京編 202 | トップページ | 石川啄木伝 東京編 204 »

文化・芸術」カテゴリの記事

コメント

コメントを書く

(ウェブ上には掲載しません)

トラックバック

この記事のトラックバックURL:
http://app.cocolog-nifty.com/t/trackback/533861/58679004

この記事へのトラックバック一覧です: 石川啄木伝 東京編 203:

« 石川啄木伝 東京編 202 | トップページ | 石川啄木伝 東京編 204 »