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2013年12月 4日 (水)

石川啄木伝 東京編 204

 鈴木志郎康のつぎの指摘は的を射ている。「啄木の『ローマ字日記』全体を通じての意識の堂々めぐりは、自分の感情の生まれてくるところを見るのではなく、考えをめぐらすという形をとって感情に言葉を与えているに過ぎないからなのだ。」
 啄木の書き方はこれからも同じだ。
 さて、求めているものが「安心」だすればどうしてそんなものを求めるのか。「ツマリ ツカレタノダロ―!」
 なぜ疲れたのか。「キヨネン ノ クレカラ ヨノココロニオコツタ イツシユノカクメイ」のせいだ。
 「キヨネン ノ クレ」には何があったか。「赤痢」の失敗、「鳥影」の連載打ち切りがあった。作家としての前途に深刻な不安が襲った。この不安の根源を見つめることがおそろしく、かれは自己の正体に向けるべき批判の目を、既成の全て、自分を容れぬ状況の全てに向け、それらを憎んだ。これが「ヨノココロニオコツタ イツシユノカクメイ」だ。
 「カクメイ」はたとえばこう言う形をとったのをわれわれはすでに見た。平野・吉井とことさらにぶつかったり、「スバル」の編集に打ち込んで不安を紛らわしたり、「鳥影」単行本化という幻想にすがったり、金田一を戯画化して小説化しようとしたり等々。
 そして今や「ツカレタ」のだという。
 啄木はこの調子で「自分の感情の生まれてくるところを見るのではなく」「考えをめぐらすという形をとって感情に言葉を与え」つづける。
その揚げ句「アー、アー、ナニモカモ、スベテヲ ワスレテ シマイタイ! ドーシテ?」

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