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2013年12月

2013年12月30日 (月)

石川啄木伝 東京編 217

 4月14日
 小説を書くため、という口実で自らの気のとがめを封じて、社には病気による欠勤届を出す。
 「Ho」というのを書き出すが途中でその題を「木馬」とする。2週間ぶりに書きはじめたのだ。しかしこれは母の手紙のインパクトによるもので、内部から興が湧いて書きはじめたものではない。
 貸本屋のもってきた春本『花の朧夜(おぼろよ)』『情(なさけ)の虎の巻』2冊を借り、『朧夜』の方を3時間もかけて筆写する。
 わたくしの所持する『春情花の朧夜』は岡田甫編「昭和参拾年九月拾日」美和書店発行のものであるが、これによると、オリジナルは江戸末期の作。非常に売れたらしく、明治の版本もあったとのこと。
 啄木が会社を休んでシコシコと筆写しているのは、ふんだんに出てくるセックス描写の部分であろうか、全文であろうか。若い単身の男には過剰の刺激があふれている。
 夜は金田一の部屋で中島孤島、内山舜という文学者を会い、話をする。中島は春陽堂の「新小説」によくものを書いており、啄木になにがしかの影響をあたえることになる人だ。
  “Mokuba” wo 3mai kaite neta. Setsu-ko ga koishikatta. …… “Hana no Oboro-yo wo yonda tame da ! ”

2013年12月28日 (土)

石川啄木伝 東京編 216

 敷衍するなら、こうなる。
 1945年(昭20)8月15日、廃墟に(何の「区別」もない空気の中に)立った日本人がまず最初になさねばならなかったのは、日本が近代化の過程でその身にまとった負の社会制度を(つまりあらゆる負の「定まり」を)そぎ落とすことであった。身近なところでは家族制度にはじまり、雇用制度・地主制度・財閥制度・官僚制度、頂点に位置する天皇制等、啄木がこの詩を書いている明治末期には完成の域に達していたこれら諸制度の負の側面を日本は思いっきり除去したのである。詩は30年後の歴史と符合してくる。
 最後の1行も印象的である。なぜなら「青い空」は8月15日のイメージであり、戦後史は「はてしれぬ青き、青き空の下に!」はじまったのであるから。
 小説が書けなくて、六銭の金も無い男が会社をサボってこんな予言詩を書く。まことに啄木は端倪(たんげい)すべからず。

2013年12月26日 (木)

石川啄木伝 東京編 215

         ATARASHIKI MIYAKO NO KISO.
  
YAGATE SEKAI NO IKUSA WA KITARAN !
   RHOENIX NO GOTOKI KUCHU-GUNKAN GA SORA NI MURETE,
   SONO SHITA NI ARAYURU TOFU GA KOBOTAREN !
  IKUSA WA NAGAKU TSUDZUKAN ! HITO?BITO NO NAKABA WA HONE TO NARUNARAN !
  SHIKARU NOCHI, AWARE SHIKARU NOCHI, WARERA NO
  “ATARASHIKI MIYAKO” WA  IDZUKO NI TATSUBEKI KA ?
  HOROBITARU REKISHI NO UE NI KA ?  INA, INA.
  TSUCHI NO UE NI, SHIKARI, TSUCHI NO UE NI : NAN NO ―― HUHU TO YU
  SADAMARI MO KUBETSU MO NAKI :
  HATE SHIRENU AOKI, AOKI SORA NO MOTO NI !

 この「新しき都の基礎」は恐るべき予言詩である。「フェニックスのごとき空中軍艦が空にむれ」たかのように、”超空の要塞” B29の大編隊が東京を襲ったのは1944年(昭19)11月24日のことであった。それは翌年3月10日の東京大空襲となり、各地方都市(「あらゆる都府」)への空襲となった。
 この詩は空襲を予言しただけではない。 
 「あらゆる都府がこぼたれ」たのち「新しき都」はいかなる「基礎」の上に打ち建てられるべきか。「なんの――特に夫婦などという――定まり(=きまり)」もなく、また廃墟となって「なんの区別もない空気の中に」、「はて知れぬ青い、青い空の下に」建てられるべきだ、という。

2013年12月24日 (火)

石川啄木伝 東京編 214

 きのう、おとといのわずかばかりの息抜き気分はけしとぶ。どうしよう。金だ、金をかせがねばならぬ、その金で家族を呼ぶのだ。そのためには「So da ! 30kwai gurai no Shimbun Shosetu wo kako. Sore nara aruiwa  Angwai hayaku Kane ni naru ka mo shirenai ! 」
 往生際の悪いったらない!「鳥影」という新聞小説を60回も書かせてもらって、まるでダメ。その駄作を大学館に持ちこんで突き返され、あてつけに死んでやろうかと怒り悲しんだのは半月前。それなのに、家族を呼び寄せねばならぬ→それには金が必要だ→小説を書こう、だ。このパターンをわれわれはここ1年間ずっと見てきたものだ。もうだめであることは啄木自身がもっともよく知っているはずである。
 しかし、「書けない」自分を直視しないためには、「書ける」と思う外ない。「書ける」と思うなら「書く」しかない。しかしローマ字日記はすぐこうつづく、「Atama ga matomaranai.」と。
 貸本屋が来た。6銭の金が無い。社に行く切符も1枚しかない。社をやすんで、貸本屋から借りた『将に来らんとする空中戦争』を読む(この本はH.G.ウェルズの『The War in the Air』のお粗末な海賊版である )。
 社にも行かず、小説も書かないが、読後に一編の詩をつくる。

2013年12月22日 (日)

石川啄木伝 東京編 213

 4月13日
 暁を覚えぬ春眠をむさぼっていると、老母からの手紙が。
 “Kono aida Miyazaki sama ni okurareshi O-tegami de wa, nan to mo yorokobi ori, Konnichi ka Konnichi ka to machi ori(今日か今日かと待ち居り), haya Shi-gwatu(4月) ni nari mashita.  Ima made oyobanai Mori[なれない子守り] ya Makanai itashi ori, Hi ni mashi Kyoko ogari[日に日に京子が成長し], Watakushi no Chikara de kaderu koto[お守りすること] oyobi kanemasu.  Sochira e yobu koto wa deki masenka ?  Zehi on-shirase kunasare[下され]taku negaimasu.  Kono aida, 6ka 7ka no Kaze Ame tuyoku, Uchi ni Ame mori(雨漏り), oru tokoro naku, Kanashimi ni, Kyoko oboi [背負い]tachikurashi, nan no Aware na koto (to) omoimasu.  Shi-gwatsu 2ka yori Kyoko Kaze wo hiki, imada naorazu.  (Setsuko wa)Asa 8ji de、5ji ka 6(ji) ka made kaerazu.  Okkasan to nakare, nan to mo komari masu.  Sore ni Ima wa Kodzukai nashi.  Iti-yen de mo yoroshiku soro[候]: nan to ka hayaku okuri kunasare taku[送りくだされたく] negaimasu.  Omae no Tsugo wa nan-nichi goro yobi kudasaru ka ?  Zehi shirasete kure yo.  Henji naki to(ki) wa kochira shimai, mina mairi masu kara sono Shitaku nasare mase.  Hakodate ni orare masen kara, kore dake moshi age mairase soro.  Kashiko.
        Shigwatsu 9ka.      Katsu yori.
    Ishikawa sama. ”

 この手紙を野口英世の母の手紙と好一対といった人がいる 。たしかにそうだ。ただし、かの手紙は、まばゆいばかりの出世をして、故郷に錦をかざる息子を狂喜して心待ちする母の手紙だ。この手紙は、英世に肩をならべる天才ながら、今は生涯最大の修羅場に苦悶する青年詩人にすがりつく老母の手紙だ。

2013年12月20日 (金)

石川啄木伝 東京編 212

 そのことは4日に来た節子の手紙にも書いてあつた。節子のうらめしい気持も痛いほどわかる。節子は3月でやめるはずだった小学校の代用教員をまだつづけている。今月は月はじめなのに京子の小遣いが20銭しかないというので、啄木は6日に社で18円前借りしたのだった。このうちから5円送ってやるつもりだった。ところがすでに見たようにその日浅草へ行って活動写真を見、お定まりコース塔下苑へ。12時に帰って下宿へ10円納め、残りは5円、なのであった。
 Sore ga, Tegami wo kaku ga iyasa ni iti-niti hutuka to sugite, ah……………!
 家族のことよりも自分が小説を書けない苦しみ(そしてそれからの逃避)が優先しているのだ。それを認めないから、いかにも家族のことを思っているように書いて、自らを欺いている。そんな自己欺瞞など消し飛ばす爆裂弾が2日後に届く。

2013年12月18日 (水)

石川啄木伝 東京編 211

 そのへなぶり歌を2、3首。
  わが髭の下向く癖がいきどおろしこの頃にくき男に似たれば
  その前に大口あいて欠伸するまでの修行は三年もかからん
  女見れば手をふるわせてタズタズとどもりし男今はさにあらず

 1首目は与謝野寛を、2首目は平野万里を、3首目は北原白秋を念頭に置いているのかも知れない。へなぶって、屈折した歌である。
 晶子が徹夜で歌を作ろうと言うのに、啄木はいい加減の用をこしらえて帰って来る。夜おそくなるとまたぞろ、”うつ”がぶりかえす。今日一日つまらぬことに費やしたと思う。
 ‘Tumaranaku kurasita ! ‘so omotta ga, sono Ato wo kanngaeru no ga nani to naku osorosii.
 かれをもっともなやますこと、かれの悩みの真の因(もと)は家族の上京であると思っている、あるいは思おうとしている。これを考えるとこの世でもっともたいへんな問題がのしかかってくるような気がする。
  Sasiatari seneba naranu Sigoto wa Haha ya sono ta ni Tegami wo kaku koto da ga, Yo wa sore mo osorosii koto no yo na Ki ga suru. …… Yo wa Haha ya Tuma wo wasurete wa inai, ina, mainiti kanngaete iru. Sosite ite Yo wa Kotosi ni natte kara Tegami ippon to Hagaki iti-mai yatta kiri da.

2013年12月16日 (月)

石川啄木伝 東京編 210

 4月11日
 昨夜は自らのイライラ(なにかに追い回されているような心理)とモヤモヤ(私娼窟の体験)を書きまくった。それがカタルシスとなったようだ。
  Nani to naku Ki ga karoku sawayaka de,wakaki Hi no Genki to Tanosimi ga Karada-dyu ni ahurete iru yo da.  Sakuya no Kimoti wa doko e itta no ka to omowareta.
かくて金田一京助と二人で隅田川に花見に行く。見ゆるかぎりは春の野。さんざんふざけちらす。
 金田一と別れて、与謝野宅の歌会へ。昨夜のパンの大会のことを聞く。金の無い啄木は今や白秋・杢太郎・勇らとは別世界の住人になってしまった。
   Rei no gotoku Dai wo dasite Uta wo tukuru. Minna de 13 nin da. Sen no sunda no wa 9 ji goro dattaro. Yo wa kono-goro Mazime ni Uta nado wo tukuru Ki ni narenai kara, aikawarazu Henabutte yatta.   
 森鴎外の観潮楼歌会では次の歌会のための題(たとえば、斯く・さぞ・瓶・海、など)を出しておく。兼題である。新詩社の場合、題はその場で出されたらしい。この日であると、毒・上衣・横・万年筆・土手、など(新詩社ではこうした題を「結び字」と言った)。これを一首の中に詠み込んで歌を作り、互いに発表しあうのである。
 もはや歌はカタルシスの手段たりえない。歌うべきことなどない。今の絶望的努力、絶望的情況を歌で表現することなど、論外だ。まして題詠など遊戯としか思えない。
 そこでこの日「Henabutte yatta.」のである。「Henabutte yatta.」とは木股知史によれば 、当時流行の「へなぶり狂歌」のまねをして、「ふざけて歌を作ってやった」くらいの意味である。

2013年12月14日 (土)

石川啄木伝 東京編 209

 しかもこれは一つの自己告白なのである。自然主義の出現なしにはこういう告白はあり得なかったであろうが、その自然主義者の自己告白をはるかに超えている。これほど凄まじい自己告白の文章は、平岡の言うとおり外に考えられない。
 啄木は「連想」「赤痢」「足跡」等で試みてどうしてもできなかった自己告白をこういう形でやってのけたのである。
 可笑しいのは、これほどの自己告白ができる啄木なのに、「連想」等で試みた方の自己告白(つまり自己の正体の直視)はどうしてもできないと言うことである。そしてできない方の自己告白の極度の困難こそがローマ字日記の真のテーマなのである。こちらの抵抗のいかに頑強なことか! 以下にそれを見て行くことになろう。
 なお、Masaと過ごした一夜の描写は、一部の女性の嫌悪感を招いているが、本文をよく読めば分かるとおり、Masaへの虐待ではない。Masaは悦んでいるのである。ある男女の密室での一つのあり方である。
 実はこの日の夜は「パンの大会」の日であった。会場は永代橋東詰の永代亭。上京中の京都帝大教授上田敏を客として迎え、十数人の詩人・芸術家たち青春の大宴会は盛り上がりに盛り上がった。

2013年12月12日 (木)

石川啄木伝 東京編 208

 こういう所へ行ってもつぎの文頭にある「ira-ira sita Kokoro」はセックスの最中にさえも癒やされないという。.癒やされるはずがない。どうしても小説が書けないところに苛々の原因があるのだから。小説が書けない自分と向き合えない啄木にとっての究極の逃避先が浅草の不幸な女性たちだった。
  Tuyoki Sigeki wo motomuru Kokoro wa, sono Sigeki wo uke-tutu aru toki de mo Yo no Kokoro wo saranakatta. 
 記述は一人の女性のしぼられる。その女性は去年11月1日と6日の日記に記され、今年の1月19日には泊まり、翌朝まで一緒に過ごしたMasa という人である。
  Yo wa mi-tabi ka yo-tabi tomatta koto ga aru. Juhati no Masa no Hada wa Binbo na Tosima-onna no sore ka to bakari arete gasa-gasa site ita.  Tatta hito-tubo no semai Heya no naka ni Akari mo naku, iyo na Niku no Nioi ga muh’ to suru hodo komotte ita.  Onna wa Ma mo naku nemutta.  Yo no Kokoro wa tamaranaku ira-ira site, do site mo nemurenai.  Yo wa Onna no Mata ni Te wo irete, tearaku sono Inbu wo kakimawasita.  Simai ni wa go-hon no Yubi wa irete dekiru dake tuyoku osita.  Onna wa sore de mo Me wo samasanu :  osoraku mo Inbu ni tuite wa nan no Kankaku mo nai kurai, Otoko ni narete simatte iru no da.  Nazen-nin no Otoko to neta Onna !  Yo wa masu-masu ira-ira site kita.  Sosite isso tuyoku Te wo ireta.  Tui ni Te wa Tekubi made haitta.  “U--u,” to itte Onna wa sono toki Me wo samasita.  Sosite ikinari Yo ni daki-tuita.  “A--a--a, uresii ! motto-motto, a--a--a ! ”  Juhati ni site sude ni Hutu no Sigeki de wa nan no Omosiromi mo kannjinaku natte iru Onna !  Yo wa sono Te wo Onna no Kao ni nutakutte yatta.  Sosite, Ryote nari, Asi nari wo irete sono Inbu wo saite yaritaku omotta. Saite, sosite Onna no Ti-darake ni natte Yami no naka ni yokodawatte iru tokoro [wo]Maborosi ni nari to mi tai to omotta ! ah, Otoko ni wa mottomo zankoku na Sikata ni yotte Onna wo korosu Kennri ga aru ! Nan to yu osorosii, Koto da ro !
 自然主義文学をはるかに超える、すさまじい描写である。平岡敏夫はかつてこう言った。「近世以来の人情本や永井荷風、吉行淳之介の娼婦物というか、花柳小説、狭斜物というふうな系譜の中にローマ字日記そのものを、そこに仮にはめ込むと、問題にならないくらい、啄木のがすごい。それはローマ字が可能にした」と 。

2013年12月10日 (火)

石川啄木伝 東京編 207

 妻には見せられない、自然主義者流の自己告白はこうして始まった。そしてローマ字表記でなければ記すことのできない、凄絶な記述が始まる。
  Ikuraka no Kane no aru toki, Yo wa nan no tamero koto naku, kono, Midara na Koe ni mitita, semai, kitanai Mati ni itta. Yo wa Kyonen no Aki karaq Ima made ni, oyoso 13-4kwai mo itta. sosite 10nin gakari no Inbaihu wo katta. Mitu, Masa, Kiyo, Mine, Tuyu, Hana, Aki, …………Na wo wasureta no mo aru.  Yo no motometa no wa atatakai, yawarakai, massiro na Karada da : Karada mo Kokoro mo torokeru yo na Tanosimi da.  Sikasi sorera no Onna wa ya-ya Tosi no iitta no mo, mada 16 gurai no hon no Kodomo na no mo, dore datte nan-byaku nin, nan-zen nin no Otoko to neta no bakari da.  Kao ni Tuya ga naku, Hada wa tumetaku arete, Otoko to yu mono ni wa narekitte iru,nan no Sigeki mo kanjinai.  Wazuka no Kane wo totte sono Inbu wo tyotto Otoko ni kasu dake da.  Sore igwai ni nan no Imi monai.  Obi wo toku de mo naku, “sah,” to itte, sono mama neru : nan no Hadukasi-ge mo naku Mata wo hirogeru.  Tonari no Heya ni Hito ga i-yo to sukosi mo kamo tokoro ga nai.  (Koko ga, sikasi, omosiroi Karera no Ironiy da !) Nanzen nin ni kakimawasareta sono Inbu wa, mo Kinniku no Syusyuku-sayo ga nakunatte iru, yurunde iru.  Koko ni wa tada Haisetu-sayo no okonawareru bakari da : Karada mo Kokoro mo torokeru yo na Tanosimi wa Kusuri ni sitaku mo nai !

2013年12月 8日 (日)

石川啄木伝 東京編 206

 

Yo wa kono Kangae wo wasuren ga tame ni, toki-doki Hito no
takusan iru tokoro ――Kwatudo-syasin e yuku. Mata sono Hantai ni, nan to naku, Hito――wakai Onna no natukasiku natta toki mo yuku. Sikasi soko ni mo Manzoku wa mi-idasarenai.  Syasin ―― koto ni mo Baka-ge ta Kodomo rasii Syasin wo mite iru toki dake wa, naruhodo siite Kodomo no Kokoro ni kaette,Suete wo wasureru koto mo dekiru : ga, ittan  Syasin ga yande ‘pah’’ to akaruku nari, Kazu sirenu uyo-uyo sita Hito ga miedasu to, motto nigiyaka na, motto omoiroi tokoro wo motomeru Kokoro ga iss? tuyoku Yo no Mune ni waki agatte kuru. Toki to site wa, sugu Hana no saki ni tuyoi Kami no Ka wo kagu toki mo ari, attakai Te wo nigitte iru toki mo aru. Sikasi sono toki wa Yo no Kokoro ga Saihu no naka no Kanj? wo site iru toki da : ina, ikani site tare kara Kane wo kari-yo ka to kangaete iru toki da. Atatakai Te wo nigiri, tuyoi Kami no Ka wo kagu to, tada Te wo nigiru bakari de naku, yawaraka na, attaka na, massiro na Karada wo dakitaku naru. Sore wo togezu ni kaette kuru toki no Sabisii Konoro-moti ! Tada ni Seiyoku no Manzoku wo erarenakatta bakari no Sabisisa de wa nai : Jibun no hossuru mono wa subete uru koto ga dekinu to yu hukai, osorosii Situbo da.

 去年11月初めから今年4月上旬までの啄木はこうして「この考え」を忘れようとしたのだという。それが啄木にとっての「浅草」だ、という。詰まるところは活動写真と女。活動写真は女に向かうための儀式のようなものか。金さえあれば究極の目的は女だ。

2013年12月 6日 (金)

石川啄木伝 東京編 205

 突然記述が転調する。
 Hito no inai Tokoro e ikitai to yu kibo ga konogoro toki-doki Yo no Kokoro wo sosonokaru. Hito no inai Tokoro, sukunaku to mo, Hito no Koe no kikoezu, ina, Yo ni sukosi de mo Kwankei no aru yo na koto no kikoezu, tare mo kite Yo wo miru Kidukai no nai Tokoro ni, is-syukan nari toka nari, ina, itiniti de mo han-niti de mo ii, tatta hitori korogatte ite mitai. Donna Kao wo site iyo to, Hito ni mirareruKidukai nai Tokoro ni, Jibun no Karada wo Jibun no omo mama ni yasumete mi tai.
 「人のいないところへ行きたいという希望」つまりつぎの文頭の「kono Kangae」の内容を記すためにこれだけ費やした。
 つぎに「この考え」を忘れるためにどうしたか、を縷々記す。

2013年12月 4日 (水)

石川啄木伝 東京編 204

 鈴木志郎康のつぎの指摘は的を射ている。「啄木の『ローマ字日記』全体を通じての意識の堂々めぐりは、自分の感情の生まれてくるところを見るのではなく、考えをめぐらすという形をとって感情に言葉を与えているに過ぎないからなのだ。」
 啄木の書き方はこれからも同じだ。
 さて、求めているものが「安心」だすればどうしてそんなものを求めるのか。「ツマリ ツカレタノダロ―!」
 なぜ疲れたのか。「キヨネン ノ クレカラ ヨノココロニオコツタ イツシユノカクメイ」のせいだ。
 「キヨネン ノ クレ」には何があったか。「赤痢」の失敗、「鳥影」の連載打ち切りがあった。作家としての前途に深刻な不安が襲った。この不安の根源を見つめることがおそろしく、かれは自己の正体に向けるべき批判の目を、既成の全て、自分を容れぬ状況の全てに向け、それらを憎んだ。これが「ヨノココロニオコツタ イツシユノカクメイ」だ。
 「カクメイ」はたとえばこう言う形をとったのをわれわれはすでに見た。平野・吉井とことさらにぶつかったり、「スバル」の編集に打ち込んで不安を紛らわしたり、「鳥影」単行本化という幻想にすがったり、金田一を戯画化して小説化しようとしたり等々。
 そして今や「ツカレタ」のだという。
 啄木はこの調子で「自分の感情の生まれてくるところを見るのではなく」「考えをめぐらすという形をとって感情に言葉を与え」つづける。
その揚げ句「アー、アー、ナニモカモ、スベテヲ ワスレテ シマイタイ! ドーシテ?」

2013年12月 2日 (月)

石川啄木伝 東京編 203

 

 Yo wa tada Ansin wo sitai no da ! ―― Ko, Konya hajimete Ki ga tuita.
 これはどういうことなのか。自分の心がのんきなのは通勤の往復の電車の中ばかりだ。家にいると、ただ、もう、何のことはなく、何かしなければならぬような気がする、という。そのくせ「何か」とは何かがわからないのだという。
 しかしこれは啄木が自らをあざむくことばである。この10ヶ月間かれの全力を注いできたもの、家族の上京が迫ってますますその必要が切迫してきたもの、それは(売れる)小説を書くこと以外にない。しかしこれをつっこむなら、「小説が書けない我」「天才ではなかった我」という自己の「正体」を直視することにつながってゆく。
 かれはその淵のふちを用心深く遠まわりする。「ナニヲミテモ、ナニヲキイテモ、ヨノココロワ マルデキューリュー(急流)ニノゾンデイルヨーデ、チツトモシズカデナイ、オチツイテイナイ。ウシロカラ オサレルノカ、マエカラヒツパラレルノカ、ナニシロ ヨノココロワ シズカニタツテイラレナイ、カケダサネバナラヌヨーナ キモチダ。」小説が書けないという袋小路を啄木はめくらめっぽうに走りまわっている。何かしなければならぬ、何かしなければならぬ、と。
 こんな気持にどうしてなったのか、「後から押」してくるものをたずねてゆけばわが「正体」にいたるであろう。啄木は自分が何を前方に求めているのか、という問いの立て方をする。つまり袋小路で駈け回っている自分がなぜ駈け回っているかをたずねずに、何を追いかけているのかと自問する。問いははっきりと「正体」からは遠ざかるように発せられている。「ソンナラ ヨノモトメテイルモノワ ナニダロー?」 名か、事業か、恋か、知識か、どれでもない、金か、それは欲しいが目的ではなく手段にすぎぬ。やっぱり自分が求めているものは「安心」だ。

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