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2014年1月20日 (月)

石川啄木伝 東京編 227

 この小説断片にはつぎのような興味深い記述がある。
 (しか)とは言へないが、何か知ら、吾々が平常(へいぜい)文学仲間と共に、無造作に使つてゐる「人生」といふ言葉について、恥づる様な気持も起つた。吾々日本人の国民生活(ナシヨナルライフ)には、まだまだ吾々末流作家の想像も及ばぬ、広漠たる亜米利加(アメリカ)大陸がある。小使豊吉! 彼も其大陸の住民の一人だ、と、こんな考へも浮んだ。或はこれは、近頃吾々が土耳其(トルコ)の政変に関する倫敦(ロンドン)なり伯林(ベルリン)なりの電報を読んで――日本の現状と何の関係なき他国の内情に対して起す興味なり熱心なりと、同じ様なものかも知れぬ。
 新聞社勤務がもともと広大な啄木の視野を一層広めかつ深めていること、すでに「島田君の書簡」(3月24日起稿)で見た。かれの視野は釧路新聞で連日十数種の新聞を読むことで飛躍し、あの卓越した論説諸編となった。今や「国民生活(ナシヨナルライフ)」というカテゴリーを獲得したようである。そうして文学者としての自分が「国民生活(ナシヨナルライフ)」と関わりがあるとの認識を持ち始めたようだ。

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