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2014年1月22日 (水)

石川啄木伝 東京編 228

 6月27日から東京朝日新聞に連載され始める夏目漱石の「それから」は、文学者が「国民生活(ナシヨナルライフ)」をその作品に取り込む一つの模範を示すことになろう。
 社からの帰宅後平出修から電話。「スバル」5月短歌号の原稿の催促だ。
 Iikagen na Henji wo shita ga, hm ! tsumaranai, Uta nado !
と思う。そして下宿を飛び出して、活動写真を見て、あてもなく1時間も電車に乗った。4月11日同様、歌など真面目に作っていられないのが今の啄木だ。たしかに「スバル」の連中とは生活条件が違いすぎる。
 4月21日
 朝の9時に、去年赤心館にいた頃いきつけていた湯屋に行く。一枚ガラスの窓には朝のすがすがしい日光に青葉の影がゆらめいている。そこでこの1年間の追憶にふけっていると……(ここで日記は突然英語に変わる。以下はその要旨)、もうすぐ家族がやってくる夏、つまりdreadful summer(恐ろしい夏)のイメージがうすれ、ある熱した若々しい明るさがよみがえってくる。そして人生はそんなに暗くも苦しくもないように思えてくる。太陽はかがやき、月はおだやかだ、と思う。記述が楽観的になってきた、読み手もほっとする。
 とたんに以下の記述(要旨)がつづく。
 もし自分が金を送らず、東京に呼ばなければ、母と妻は別の方法で食ってゆくだろうと思う。自分は若いんだ。下宿の催促がなんだ。下宿は東京にはいくらでもある。今持っているのは5厘だけだが、それがなんだ。
 エネルギーあふれる窓外の緑と夏近い朝の湯槽はこの日頃になく啄木の気分を大きくしてくれるらしい。責任回避の願望が大手をふるっている。
 社から帰ると今夜も平出修から原稿催促の電話。「スバル」同人間にあって啄木の短歌における存在感は「石破集」以来特別の重みをもっていたのであろう。

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