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2014年2月

2014年2月28日 (金)

石川啄木伝 東京編 246

  Shimizu kun to Yo to wa nan no Kwankei mo nai.  Futari isshio ni de wa kongo Minoru kun wo suku toki komaru kamo shirenu.
 当然だ。
  Shikashi Yo wa sono Shojiki rasii Kao no Kokoro-bosoge na Hyojo wo mite wa kono mama wakare saseru ni shinobinakatta.
 さきのたま子への同情と同じく、この寄る辺ない2少年に啄木の同情は惜しみなく注がれる。
 啄木は2人のために下宿を見つけてやり、手付けとして1円をその下宿にわたし、3人で天ぷら屋で飯を食い……して、「Yo no Saifu wa Kara ni natta.」。
 無謀な金遣いの啄木だが、こんな美しい無謀もする。社は休んだ。その日ののこりは岩本から渋民の話をきいて過ごす。
 5月3日
 社には病気届けを出した。おたけに虐待されながら1日床にふせる。
    Iya na Hi !  Zetubo shita hito no Yo ni, tsukare-kitta Hito no yo ni, omoi Atama wo Makura ni nosete…………………Kyaku wa mina kotowaraseta.
 頭がおもいという以外どこがわるいとも書いていない。「~のように」とあるのも、身体の病よりは心の病を思わせる。もしも病気でなかったとしてもわれわれはかれが横たわっているのはなぜか分かる気がする。

2014年2月26日 (水)

石川啄木伝 東京編 245

     Yo wa sono Mubo ni tsuite nan no Chukoku mo sezu, ‘ aseru na, Nonki ni nare ’ to yu koto wo kurikaeshite itta.  Kono Hito tachi no Zento ni wa kitto Jisatsu shitaku naru Jiki ga kuru to omotta kara da.  Minoru kun wa 2,30 sen, Shimizu kun wa 1 yen 80 sen shika motte inakatta.
 啄木も敗残の帰郷の前、きっと自殺を思つたのだ。辛うじて思いとどまって父母に手紙を書いたのだ。そのことが上の記述によって明らかである。
 それにしても、今の啄木がどんなに経済的苦境にあるか(自業自得的側面があるとはいえ)、もうわれわれは十二分に知っている。今さっきおたけに責められたのも見た。しかし転がり込んできたふたりのふところには合計2円か2円10銭!

2014年2月24日 (月)

石川啄木伝 東京編 244

 9時頃だ。女中が来て岩本とかいう来客を告げる。
 床をあげて呼び入れると渋民村役場助役の息子岩本実と啄木には面識のない徳島生まれの清水という青年であった。2人は事情こそ異なれ、故郷をとび出して上京し、食いはぐれ、啄木をさがしあててころがりこんできたのである! 
 2人それぞれの家出の事情を聞いて、啄木は異様な悲しみをおぼえる。
 啄木はまちがいなく最初の上京時の自分と重ねたのである。本稿「その3」で見た「樗牛死後」の一節を想起されたい。真冬にホームレスとなった石川一は真鍋六郎という少年と二人で佐山某の部屋に置いてもらい、雨露をしのいだのだった。

2014年2月23日 (日)

石川啄木伝 東京編 243

 この夜のくだりを「読んでいると、私たちも何だかうれしくなる。妻子に送るべき前借の金で妻を裏切っている男を祝福したくなるとは! 会話をまじえた、小説のようなここの描写は実に巧みで、その『文学』の誘惑ともいえるが、ともかくずっと読んでくると、そういう共感を禁じえないのは事実だ。啄木の悲惨はそれほどあわれなのである 」(桑原武夫)。
 12時過ぎ蓋平館に戻る。月が明けても下宿代を払わなかった者には、火鉢に火もなく布団もしいていない。着物のままで寝てしまう。
 5月2日
 女中のおたけがその寝ているところを起こした。下宿代の催促だ。20円渡した。
  “ Ato wa mata 10 ka goro made ni. ”
      “ So desu ka ! ” to O-take wa hiyayaka na , shikashi kashiko so na Me wo shite itta.  “Sonnara Anata sono koto wo Go-jibun de Choba ni osshatte kudasai masenka ?  Watashi domo wa tada mo shikararete bakari imasukara.”
      Yo wa sono mama Negaeri wo utte shimatta.  “ Aa, Yube wa omoshirokatta ! ”
 また佳い夢を結べたのであろうか。

2014年2月20日 (木)

石川啄木伝 東京編 242

 ここで婆さんが静かに家に入ってくる。少しの間ふたりはその憐れな老婆をめぐって話をする。
   Soshite shibaraku tatsu to, Onna wa mata, “ Iya yo, sonn ni Atashi no Kao bakari mich?.”
      “Yoku niteru.”
      “ Donata ni ? ”
      “ Ore no Imoto ni. ”
      “ Ma, ureshii ! ” to itte Hana-ko wa Yo no Mune ni kao wo uzumeta.
      Fushigi na Ban de atta.  Yo wa ima made iku-tabi ka Onna to neta.  Shikashi nagara Yo no Kokoro wa itsu mo nani mono ka ottaterarete iru yo de, ira-ira shite ita, Jibun de Jibun wo azawaratte ita.  Konya no yo ni Me mo hosoku naru yo na uttori to shita, Hyobyo to shita Kimochi no shita koto wa nai.  yo wa nani goto wo mo kangaenakatta : tada uttori to shite, Onna no Hada no Atatakasa ni Jibun no Kadada made atatamatte kuru yo ni oboeta.  Sohite mata, chikagoro wa itazura ni Fuyukwai no Kan wo nokosu ni suginu Kosetu ga, kono Ban wa 2 do tomo kokoro-yoku nomi sugita.  Soshite Yo wa ato made mo nan no Iya na Kimochi wo nokosanakatta.
     1 jikan tatta.  Yume no 1 jikan ga tatta.

2014年2月18日 (火)

石川啄木伝 東京編 241

  Ah, sono Onna wa !  Na wa Hana-ko, Toshi wa 17.  Hitome mite Yo wa sugu so omotta : “ Ah ! Koyakko da ! Koyakko wo futatsu mitsu wakakushita Kao da ! ”
 ほどなく啄木はお菓子売りの薄汚い婆さんと一緒に店を出る。方々引っ張り回された末千束小学校の裏手に出る。裏長屋があって、人通りはない。老婆はそこに啄木を待たせて、巡査の目を警戒しながら、ひと棟の長屋の戸を開ける。啄木を引き入れると自分は「Hari-ban(張り番)」に廻る。
  Hana-ko wa Yo yori mo Saki ni kite ite, Yo ga agaru ya ina ya ikinari Yo ni daki-tsuita.
 家の中は狭く汚く、畳は腐れ、屋根裏が見える。古い時計が物憂げに鳴っている。長火鉢の猫板の上の豆ランプがおぼつかなげに部屋のなかを照らす。
  Susubita Hedate no Shoji no kage no, 2 jo bakari no semai Heya ni hairu to, Toko ga shiite atta ―― Sukoshi waratte mo Shoji ga kata?-ata natte ugoku.
      Kasuka na Akari ni ji’ to Onna no Kao wo miru to, marui, shiroi, Koyakko sono mama no Kao ga usu-kurai naka ni po to ukande mieru.  Yo wa Me mo hosoku naru hodo uttoi to shita Kokochi ni natte shimatta.
      “Koyakko ni nita, jitsu ni nita ! ” to, ikutabi ka onaji  koto bakari Yo no Kokoro wa sasayaita.
      “ Ah ! konna ni Kami ga kowareta.  Iya yo, sonna ni Watashi no Kao bakari micha ! ” to Onna wa itta.
      Wakai Onna no Hada wa torokeru bakari atatakai.  Rinshitu no Tokei ga kata’- kata’ to natte iru.
      “ Mo tsukarete ? ”

2014年2月16日 (日)

石川啄木伝 東京編 240

 しかし啄木には今月の25日は月給なしであることよりも、今手の中に25円もあることが気にかかる。今日の午前にも並木が来ていた。かれに時計を返せば下宿の分が足りなくなる。下宿に20円払えば時計はだめだ。「どうすればいい?」とあえて二者択一の問いをたてる。
 この”難”問は「shino ka shinumai ka to yu koto wo kessuru yori mo Yo no Atama ni Konnan wo kanjisaseta.」。そこで「To ni Kaku kore wo kimenakereba Uchi e kaerenai.」と浅草に足を向ける口実を作り出す。
 尾張町から電車に乗って雷門で降りる。下宿の夕飯なら無代で食べられるのに、外食する。活動写真には入る。ちっともおもしろくない。出て「スバル」短歌号を買う。これも下宿に帰れば届いているはずだ。電車賃も含めて全くの無駄遣いだ。でもこれらは「序曲」だ。
  Iku na ! iku na ! to omoi nagara Ashi wa Senzoku-machi(千束町) e mukatta.  Hitachi-ya no mae wo so to sugite, Kinkwatei to yu atarashii Kado no Uchi no mae e yuku to Shiroi Te ga Koshi no aida kara dete Yo no Sode wo toraeta.   Fura-fura to shite haitta.
 「Hitachi-ya」は例のおまささんのいる店だ。そこの前はそうっと過ぎて、新しい店の格子から出た白い手に引き込まれた。

2014年2月14日 (金)

石川啄木伝 東京編 239

 5月1日
 Gozen wa “ Rudin. 浮草. ”wo yonde kurashita.  Ah ! Rudin !  Rudin no Seikaku ni tsuite kangaeru koto wa, sunahachi(すなわち) Yo-jishin ga kono Yo(世) ni nani mo okoshi enu Otoko de aru to yu koto wo Shomei suru koto de aru …………
 だから、きっと、「ルージンの性格について考えることは」中途でやめたことであろう。しかし啄木はルージンと自分の共通性を半端であれ、口に上せるまでになった。
 社では「佐藤氏」は欠勤だった。しかし、
  Zenshaku wa Shubi yoku itte 25 yen karita.  Kongetsu wa kore de mo toru tokoro ga nai.  Sengetsu no Tabako-dai 160 sen haratta.
 それでも23円ある。昨夜金田一が2円50銭貸してくれているから、25円以上もある。常識人なら、この25円を来月家族を迎えるための資金の核にしようとするだろう。たとえ少額でも核にはなりうる。

2014年2月12日 (水)

石川啄木伝 東京編 238

 4月29日
 こうなったら小説を書いて金を得るしかない、としつっこい往生際のわるい啄木は書くことに挑戦する。「底」という小説だ。ただし社は休んでいる(電車賃がないし、工面して行っても前借はできぬ)。この日はよくペンが動く。
 4月30日
 今日も社を休んで書く。「底」を第3回まで書いた。3「回」というのだから金になる新聞小説を狙っているのだ。4月13日の日記にこうあった。「そうだ! 三十回ぐらいの新聞小説を書こう。それならあるいは、案外はやく金になるかも知れない」と。その時も書けなかった。この日も夜になるともう興は去った。
  Yoru ni naru to hatashite Saisoku ga kita.  Asu no Ban made mataseru koto ni suru.
 枕の上でツルゲーネフの「ルージン」(二葉亭訳の『うき草』)を読む。昨年10月31日に読んだのを再読しているのだ。あふれんばかりの才を抱きながら、何事をもなしえず年をとり、1848年の二月革命のときパリ街頭のバリケードで弾丸にあたって死んでゆく主人公ルージン。「空論家」「虚言家」「ゲザのたぐひ」のルージン。

2014年2月10日 (月)

石川啄木伝 東京編 237

 いくら甘ちゃんでも、言い出しかねて当然だろう。25日に給料が出た時には向後ひと月の生活の工面は立てているべきである。まして6月には家族が上京するのである。それが並木のはがきに驚き(驚く方がおかしい)、「今夜だけ遊ぼう」にかわり、おえんに2円も遣い、給料日の2日後に前借を申し出る。さすがの甘ちゃん啄木にも恥の気持はあろう。
 非凡なのは、そういう苦境、その時の自己の心理を精細にローマ字で描写しつづける点だ。この日記は単なる逃げ場なのだろうか。いったい何なのだ?
 さて、非常な苦境に変わりはない。
  Gake-shita no Ie de wa Nobori wo tateta.  Wakaba no Kaze ga Kazaguruma wo mawashi Koi to Fukinagashi wo Ha-zakura no ue ni oyogasete iru.
    Hayaku okite, Azabu Kasumicho ni Sato-shi wo tazune, Raigetsu-bun no Gekkyu Zenshaku no koto wo tanonda.  Kongetsu wa dame da kara Raigetsu no Hajime made matte kure to no koto de atta.

 実は昨夜金田一に電話で呼び出されて、日本橋の料理屋に行き、中島孤島と内山舜と4人で芸者をあげて飲んだのだ。1円がそこで消えている。そんなこともあって、今日は財布の中にはひしゃげた5厘銅貨1枚だ。

2014年2月 8日 (土)

石川啄木伝 東京編 236

 4月27日
 翌日、きのう浅草からの帰りに感じていた悲しみは何だったのかを分析する。それは「3 yen no Kane wo munashiku tsukatta to yu koto de atta…….」。
 もうさっさと「今の自分は小説が書けない」と認めてしまえばよいのだが。そうすればこんな悲しみは味わわなくてもよいのに。しかし認めると、樗牛の呼びかけ(「文明批評家としての文学者」)に応えて起ち上がった15歳以来の自分の全否定となる。この8年間のなりふりかまわぬ奮闘が水泡に帰す。
 いやそれよりも何よりも、並木に返す金どころか下宿に入れる金(つまり食と住)をどうするか。昨日遣わなくても不足していた金、それを3円も無駄遣いしたのだ。金遣いに関しては非常識な啄木であるが、当面の苦境は非常な苦境ではある。なにしろもう借りれる友人知己からは借り尽くした。もう誰もいないはずだ。
  Sha ni itte mo 4 ji goro made Yo wa nani to naku Fuan wo kanjite ita.  Sore wa Raigetsu-bun no 25 yen wo Zenshaku shiyo-shiyo to omotte, Shita made iki nagara iidashi-kanete ita kara da.  4 ji ni wa Sha no Kinko ga shimaru.  Kan kan…………to Atama no ue no Tokei ga 4 ji wo utta toki. Yo wa ho’ to iki wo tsuite anshin shita.

2014年2月 6日 (木)

石川啄木伝 東京編 235

 啄木は一方でわが身とひきくらべているが、そのうら側には強烈な同情がある。しかし、かれには何一つ力になってやれることはない。
   Yo wa mo taerarenaku naru yo na Ki ga shita.  Naku ka, Jodan yu ka, hoka ni Shikata ga nai yo na Kimochi da.  Shikashi Yo wa sono toki Jodan mo ienakatta.: muron nakenakatta.
 石川啄木という人間のやさしさが、弱者に対する同情が美しい光を放っている。1年数ヶ月後社会主義者になる啄木の魂がここにある(明治期の代表的な社会主義者はみな下積みの人々への熱い同情にうらうちされたヒューマニストであった)。そして後の国民詩人石川啄木の一モメントがここにある。
 身のおきどころのない啄木は逃げ場をもとめる。そこが後のではなく、今の石川啄木だ。酒をたてつづけに飲む。たった3杯でたちまち酔っ払う。2円出しておえんという女を買い別の部屋で5分ばかり寝る。その間金田一はたま子とキスの初体験をしたらしい。
   Kaette kite Mon wo tataku toki, Yo wa Jibun no Mune wo tatakite iya na Oto wo kikuyo na Ki ga shita.

2014年2月 4日 (火)

石川啄木伝 東京編 234

 啄木は美しくて品のいい(ことばも品のいい)たま子に好感を持つ。不幸な境遇に同情しつつ話を聞いていると次第にわが身にひきくらべられて辛くなる。そもそもわが身のおきどころがないような気がしたからこそ、浅草に来たのではなかったか。女の話を聞いていると、ここにさえも、だからもうどこにもわが身のおきどころはないと思う。いったい何のためにここに来たのだ。こう自問してみると、性欲の満足のためとか、酒とかの答えでは、答え尽くしていないと感ずる。「そんなら何か?」 かの決して直視したくない事実に向かってかれの自意識は動きはじめる。「自分にも分からぬ!」と自意識の動きをあわてて打ちきろうとする。
  Jiishiki wa Yo no Kokoro wo fukai fukai tokoro e tsurete iku.  Yo wa sono osoroshii Fukami e shizunde ikitaku nakatta.
 そこであらんかぎりの馬鹿をする。
   “ Watashi, raigetsu no 5ka ni koko wo demasu wa. ” to Tama-ko ga kanashi so na Kao wo shite itta.
      “ Deru sa ! Deyo to omottara sugu deru ni kagiru.”
      “ Demo Shakkin ga arimasu mono. ”
      “ Ikura ? ”
      “ Hairu toki 40yen deshita ga, sore ga Anata, dendan tsumotte 100 yen ni mo natterunnde gozai-masu wa. Kimono datte ichi-mai mo koshirae wa shimnain desu keredo……. ”

2014年2月 2日 (日)

石川啄木伝 東京編 233

 社から帰って飯を食っていると金田一がやはり勉強したくないといって部屋に入ってくる。昨日の吉原見物とその後の啄木のきわどい話で、刺激を受けすぎた金田一は勉強も手につかない。
 啄木には渡りに舟だ。「Konya dake asobo !」
 八時頃下宿を出る。ふたりは言わず語らずのうちに浅草に行く。活動写真を見るが、興がのらないので(それは当然だ)間もなく千束町をあるき、「新松緑(しんまつみどり)」というところに入る。今夜はたのしくすごせるか?
 その店にたま子という女がいる。美しくて品のある女だ。
 Sono Onna ga shikiri ni sono Kyogu ni tsuite no Fuhei to Okami no hidoi koto to, Jibun no Mi no ue to wo katatta. Yo wa Kabe ni kakete aru Samisen(三味線) no Ito wo Tsume de hajiki, hate wa sore wo tori oroshite odoketa Mane wo shita.  Naze sonna Mane wo shita ka ?  Yo wa ukarete ita no ka ?
    Ina !  Yo wa nan to yu koto mo naku waga Mi no Okidokoro ga Sekai-ju ni nakunattta yo na Kimochi ni osowarette ita. “ Atama ga itai kara Konya dake asobo ! ” Sore wa Uso ni chigai nai.  Sonnara nani wo Yo wa motomete ita ro ?  Onna no Niku ka ?  Sake ka ?  Osoraku so dewa nai !  Sonnara nani ka ? Jibun ni mo wakaranu !

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