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2014年3月28日 (金)

石川啄木伝 東京編 260

 この夜の啄木に合わせて要約すると談話の骨子はつぎの3点になる。
 1、評論と小説とは現代文芸二大様式である。にもかかわらず日本においては評論の発達が遅れている。もっと評論独自の意義を認識すべきである。
 2、自分の言う評論とはEssay(「試験」を意味する)またはCriticism(ギリシャ語で「審判する」に由来する)のことで、「人生其のもの」「実際に存する人生」のCriticism、「生ける社会其のもの」の批判を意味する。
 3、自然主義はどこまでも評論の精神によって働きかつ戦わねばならぬ。評論の精神のない自然主義は「死(デツス)」そのものである。
われわれは4月20日起稿の小説断片「坂牛君の手紙」において、啄木が「国民生活(ナシヨナルライフ)」という概念を創出したのを見た。
 この概念の生成を振り返っておこう。

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