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2014年4月

2014年4月 8日 (火)

石川啄木伝 東京編 265

 また小説から評論へのりかえることで自らを欺きおおせる啄木ではないし、「直視」できぬ弱点は、王堂を読んだからといって短時日のうちに克服されるようなものでもない。王堂によって「枯野原」の端に細い細い、これまで目に入らなかった道があることに気づいただけだ。本人はまた「枯野原のなかを、ぐるぐる空回りし」つづけるであろう。
  Misoka wa kita. 
   Damatte Uchi ni mo orarenu no de, Gozen ni dekakete Haori ――tada ichi-mai no ―― wo Shichi ni irete 70 sen wo koshirae, Gogo, nan no Ate mo naku Ueno kara Tabata made Kisha ni notta.  Tada Kisha ni nori takatta no da.  Tabata de Hatake no naka no shiranu Machi wo urotsuite Tsuchi no ka wo akazu sutta.
    Kaette kite Yado e Moshiwake.
そうだ、今日は晦日だ。宿の催促は猛烈であろう。二週間も勤めに出ずに、部屋にくすぶっていたのだから。宿の方だってその間どんなにやきもきしたことであろう。質屋で70銭こしらえて、外出。金策にでも行くフリをしたのであろう。家を出てもゆくところなし。 
 上野駅から汽車に乗る。ふるさと方面に向かう汽車だ。田端駅で降りて、うろついて、土の香をあかず吸う。帰ってきて宿に申し訳。ここまでくれば、宿の方へ同情したくなる。

2014年4月 6日 (日)

石川啄木伝 東京編 264

 つまり「国民生活(ナシヨナルライフ)」の発見→二葉亭の死→田中喜一談話という過程を経て獲得した「“ National life ! ” sore da.」という見地。この見地を東朝記事にヒントを得て、実践に移したのが「胃弱通信」であると言えよう。
 「田舎新聞」とのつながりの強化、なにがしかの原稿料稼ぎ、といった思惑もあったであろう。これまでは小説でしか副収入の道を考えようとしなかったのであるから、この変化は小さくて大きい。
 この年秋以降の啄木評論の季節のまえぶれである。
5月31日
  Ni-shukan no aida, hotondo nasu koto mo naku sugoshita.  Sha wo yasunde ita.
 ひどい社員である。それにしても「胃弱通信」の後、なにをやっていたのか? 家族上京を本気で迎える気なら、クビになる事態はなんとしても避けなければなるまい。それは家長としての最低の義務だ。突き詰めて考えているのは小説を書くことだけ。家族はこの段階になっても、小説の泥沼に溺れている自分にすがりついてくる恐るべき重荷だ。「天才」という「悪霊」はまだしっかりと取り憑いている。
 もちろん「胃弱通信」以後も小説を書けるはずがない。

2014年4月 4日 (金)

石川啄木伝 東京編 263

 

さて、「ローマ字日記」の世界にもどろう。この世界はもうほとんど終わりに近い。5月18日から2週間記入がない。
 しかしこの間に評論(通信文)「胃弱通信」(全5回)を書いて岩手日報に送っている。それが5月26、27、28日、6月1、2日の日報に載った。この評論には前書きがあって、「……小生は腹の具合を害ねて籠居(ろうきよ)を余儀なくされ居候。仰臥連日、天井板も数へ尽しての上に、つくづく思ひ知り候ふは日頃御無沙汰の罪。紙とインキを枕頭に引寄せて取敢(とりあ)へず此の企てを、『胃弱通信』とは偖(さ)ても苦しき言草(いひぐさ)に候哉。余白のうめ草にでもお使ひ下され候はば幸甚この事に御座候。二十日夜」とある。
 定期的な通信文として送ったものではないので、「二十日夜」までに5回分全部を書いた、と思われる。そして「二十日夜」までの2、3日胃をわるくしていたのはほんとうらしい。
 通信の内容は盛岡振興策である。当時東京朝日新聞は5月6日から16日までの(5月10日を除く)10日間に「東北振興策」と題して東北6県の各知事の談話を載せている。この特集が終わった翌日が「“ National life ! ” sore da.」と記した5月17日である。

2014年4月 2日 (水)

石川啄木伝 東京編 262

 さて、王堂田中喜一の談話を読んだ啄木に戻ろう。
 地方新聞に行けば、仕事の中心になるのは評論であろう。その評論に対して王堂はきわめて高い位置を与えている。いま、自分が放り出したいとまで思う小説と同じレベルに、放り出してのち取り組もうとする評論をおいているのである。これは逃げ場を求める啄木への力強い援護射撃である。
 さらに王堂のいう評論の意義が今の啄木のつぼにまさにぴたりとはまるではないか。評論とは「実際に存する人生」「生ける社会其のもの」の批判である、という。「実際に存する人生」「生ける社会其のもの」を「国民生活(ナシヨナルライフ)」と読み替えるなら、評論とは「国民生活(ナシヨナルライフ)」の批判Criticismなのである。王堂の自然主義への要求もいい。小説もまた評論の精神によって働きかつ戦うのだと。小説もまた「実際に存する人生」「生ける社会其のもの」の批判であるべきだ、というのである。それは「国民生活」の批判であるべきだと、読み替えうることでもある。
 王堂を読んで啄木は、闇の中に沈んでいる自分の文学観のつぼが、一瞬光に照らし出されたように感ずる。“ National life ! ” sore da.
 どん底にあって啄木は評論の可能性・国民生活(ナシヨナルライフ)という思想と文学の対象・自然主義批判の方向という、モメントをつかんだ。

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