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2014年9月12日 (金)

石川啄木伝 東京編 268

 「ローマ字日記」のモチーフをもう一度確認しておこう。
 小説が書けないことを思い知らせる日毎の事実がささやく。お前は「天才」ではない、その己が正体を直視せよ、と。この声にだけは従うまいとしてあらん限りの力をふりしぼり、あらん限りのやり方で闘った石川啄木のその心と行動の記録が「ローマ字日記」であった。啄木自身のことばをつかって示すなら、「痛ましき我が姿を白地(あからさま)に見ねばならぬ恐ろしさに、……耳を塞ぎ目を瞑つて逃げ廻つてゐ」た心の記録であった。それは「天才」啄木の断末魔の記録とも要約しうる。
 啄木の文学者・思想家としての生涯の中に位置づけてより総括的に規定するなら、啄木浪漫主義とこれを否定する現実との相克、となろう。「現実」には、小説が書けないという自身内部の現実から、家族という現実そして「国民生活」にいたるあらゆる現実が含まれる。   
 「ローマ字日記」・その作者石川啄木と双璧をなすのは「山月記」・その作者中島敦である。わたくしはこのことを「『山月記』の感動はどこからくるのか――李徴に啄木を代入してみると――」と題して論じたことがある 。
 ここではその小論の最後に引いた井上ひさしの出世作『手鎖心中』の一節によって、啄木の現状を理解したい。
   机の上が血の池地獄で、座る座布団が針の山、おまえにものを書く才などあるものか、と呵々(かか)大笑する閻魔(えんま)の声を頭のどこかで聞きながら、脂汗流して、地獄這いずり廻って、これ以上は自分にはできない、という作を仕上げるほかに、王道(は)……ない。

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