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2014年10月10日 (金)

石川啄木伝 東京編 282

 一禎という人は数え年五つ(満でいえば三つか四つ)で母から離され寺に預けられたのであった。そして1905年(明38)3月2日宝徳寺を退去するまでの約50年間は、僧侶としての生活がすべてであった(常光寺住職と兼任で公立日戸小学校教員をしていたことなどもあったが)。したがってその生活感覚は寺の生活から生じ、寺の生活によって育てられた。一禎という人の一生を通観すると、高潔な僧になろうなどという志は無く、僧であることは生きる手段であった。だから妻帯し、子をなし、酒を好み、文学ことに和歌を愛好した。性的にも野放図なところがあった。息子が極めて優秀であったので、僧侶にすることはまったく考えず、その立身出世に賭けた。それは曹洞宗の本山から神童の息子に乗り換えることであった。この結果が宗費滞納・息子の学費への流用である。
 一禎はこういう人(はっきり言えば生臭坊主)であったから、般若心経も道元の教えも自分に都合よく解釈して、恬としていられた。以下はその体現ぶりである。

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