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2014年10月12日 (日)

石川啄木伝 東京編 283

 一つ目、金銭感覚。
 一切が空なのだから、布施もまた空である。一禎とその家族の経済的基礎は布施である。その布施を受けとることにはなんの負い目も感じなかった。そして受けとった布施は「空」なのだから、これに執着(しゆうじやく)してはならないのである 。道元も言う。「仏の言(のたまは)く、衣鉢(えはつ)の外は寸分も貯へざれ、……設(たと)ひ受け来るとも寸分も貯ふべからず」と 。
 だから一禎は金を持つと後先構わず遣う人であった。 。
 その上一禎の足跡(大仙院→常光寺→宝徳寺)には宗費滞納・流用・横領等の金銭にまつわる悪しき風聞がつきまとう 。
 こんな一禎の金銭感覚を石川一は幼少期からたっぷり吸い込んで育ったのである。啄木の代名詞ともいうべき借金も同じ土壌から生え育ったのである。啄木にもっとも多額の金銭的援助をしたのは言うまでもなく宮崎郁雨であるが、その郁雨が書いている 。
   私は少年の頃に聞き知った「坊主に金貸せあ家鴨に卵。かえす心はさらに無い」という俗謡を、今も覚えて居る。これはその時代の寺門の人達の貸借観念の超越ぶりを諷歎したものであったろうが、啄木の生活観念の何処かにそれと一脈相通のものがある様に私は観察して居た。私は彼の天分に対してもそうであるが、彼のお寺という環境によて育成された(と考えられる)根強い特殊の性格に対しても惜しみなく驚嘆する。

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