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2014年10月16日 (木)

石川啄木伝 東京編 285

 二つ目、生業(会社勤め)の軽視 。
 出家が「一般の社会生活とくに経済生活とは完全に無縁になる」ことはブッダの時代以来の戒律であるが 、これはもちろん道元にも引き継がれている。「学道の人衣糧(えりやう)を煩ふこと莫れ。只仏制を守(まもり)て、世事(せじ)を営むこと莫れ」と。また言う。木の実・草の実・托鉢による食物・信者の寄せる布施物は「皆是れ清浄食(しやうじやうじき)なり。其の余の田商士工の四種の食(じき)は、皆不浄の邪命食なり。出家の食分にあらず。」と。「田商士工」は農・商・武士・工匠の四民である。出家がこれらの経済活動をして得た「食(じき)は、皆不浄の邪命食」であって、出家の食分ではない、と。
 一禎はかれ流にこの教えを守った。しかしそれは「学道」のためではなかった。生活の糧を得る方法として農耕その他の労働あるいは職務に従事することを回避する理由としてこれを守ったのである。啄木や光子の父の思い出には掃除や草むしりをする父さえ出てこない。本を読んでいるか、和歌を作っているか、来客を接待しているか、庫裏で家族と過ごしているか。
 その子の一が幼少期に早くも白沢スワに「あねえつこ、俺は筆で飯を食ってみせる」と、言ったのだった(本稿その1)。結婚後も働こうとせず、「思索」ばかりしていたことは小説断片「連想」で本人も認めるごとくであり、ようやく渋民小学校の代用教員になったのは、父母の扶養義務を振り落とすためであった。そして騒ぎを起こして、クビに。函館では腰の定まらぬ就職をしているうち大火に遭い、小樽では渋民同様騒ぎを起こして退職そして無収入に、釧路では働かずにものを書く生活一本に絞りたくて(東京病)、仕事に嫌気がさし、とうとう逃げ出した。そして念願の働かずにものを書く生活に入った。
 これらは一禎の感化があまりに深く魂にしみこんだ結果である。

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