« 石川啄木伝 東京編 288 | トップページ | 石川啄木伝 東京編 290 »

2014年10月24日 (金)

石川啄木伝 東京編 289

 息子は父よりはるかに純真で、本気の浪漫主義者・天才主義者だった。われわれは天才主義を貫き、実現するために、健闘する啄木を見た。それは日本社会の現実に圧迫されて次第に滑稽な事態を生み出しもした。そして天才主義は現実の前に崩落した。しかし啄木は一禎と同じく天才主義を説き論じていたとき主義と自分との乖離を見ようとしなかった。主義が事実上消滅した今も、ありたい自分と現実の自分の乖離をどうしても直視できない。そこで一禎と同様の仕方で、「天才」という「ロマンチツクの影」(08年4月21日大島流人宛)の後ろに隠れる。こうして自己を欺き人を欺く。そのもっとも生々しい様をわれわれは「ローマ字日記」で見たばかりである。
 啄木が直視できないのは自己だけではない。「国民生活」も直視できない。「国民生活」の諸側面のうち自分と関係ないものについては論じる。小樽日報の三面記事も、釧路新聞のすぐれた諸論説も振り返ってみると「国民生活」を書いたもの、と言える。最近では「国民生活」ということを意識して「胃弱通信」(岩手日報)を書いた。しかし啄木は「国民生活」の深刻な事象の直視を恐れている。それと自分の人生とを結んで考えることを避けているのである。もしも結んで考えるならば、自分は「国民生活」に責任を負わなければならないと考えるからである。06年(明39)3月渋民村に再移住したとき、社会主義者の電車賃値上げ反対の闘いに刺激を受け、社会主義思想に惹かれた。啄木はこれに引き込まれまいと、3000字を費やして社会主義を否定し、「一元二面観」に拠ったのをわれわれは見ている。同様の弱みを啄木は今もかかえている。

« 石川啄木伝 東京編 288 | トップページ | 石川啄木伝 東京編 290 »

文化・芸術」カテゴリの記事

コメント

コメントを書く

(ウェブ上には掲載しません)

トラックバック

この記事のトラックバックURL:
http://app.cocolog-nifty.com/t/trackback/533861/60517047

この記事へのトラックバック一覧です: 石川啄木伝 東京編 289:

« 石川啄木伝 東京編 288 | トップページ | 石川啄木伝 東京編 290 »