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2014年11月 2日 (日)

石川啄木伝 東京編 293

 7月25日から函館日々新聞にエッセイ「汗に濡れつゝ」(全9回)の連載が始まった(第9回目は8月5日掲載)。その8回目に啄木の変化を示すくだりが現れる。執筆は7月20日ころと思われる 。つまり啄木の変化は資料的に確認できるところではこのころからはじまったと見なしうる。
 「汗に濡れつゝ(八)」の最後の段落を引こう。
  海が恋しい――これは予の浪漫的(ロマンチツク)である。バザロフは四十幾つになつてヰオロンセロを弾く友人の父を、転げ歩いて笑つた。予も亦予の浪漫的(ロマンチツク)を笑はねばならぬ。投げ捨てねばならぬと思ふ。思ふのは単にバザロフの真似を為ようとするのではない。が唯思ふだけである。悲しいかな唯思ふだけである。
 ツルゲーネフの『父と子』は相馬御風訳でこの3月新潮社から出ている。啄木はこれで読んだのであろう。だれかがシューベルトの「心待ち」をチェロで弾いている。「調べの音(ね)が蜜のやうに心地よく空中に漂うて居る。」 弾いているのが44歳になる「アーカディー」の父だと分かると「バザロフ」は「大声で笑ひこける」。
 23歳だが、妻子と父母を扶養しなければならない一家の主が「天才」にこだわっているのは「アーカディー」の父同様だと自覚したのだ。もうこんなものは「投げ捨てねばならぬと思ふ」と新聞紙上で公言したのである。これは啄木の画期的な変化である。「が唯思ふだけである。悲しいかな唯思ふだけである。」

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