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2014年11月 4日 (火)

石川啄木伝 東京編 294

 「汗に濡れつゝ(九)」ではこう書く。
  その頃(函館時代-引用者)は予は、然(さ)うだ、矢張(やはり)若かつたのだ。今も若いがその頃はまだまだ若かつたのだ。それだけに、その頃の事を思出すと何となく恥かしい。と共に懐かしい。
  厳然として充実し、而して、洞然として空虚なる人生の真面目を、敵を迎へた牡獅子の騒がざる心を以て、面相接して直視するといふ事は容易に出来る事ではない。直視するに堪へないからこそ、我等は常に「理想」といふ幻象
(ママ)を描いて欺瞞(ごまか)してゐる。
  その頃、天地人生に対して、予は予の主観の色を以て彩色し、主観の味を以て調理して、以て、空想の外套の中に隠れてゐる自分の弱い心に阿
(おもね)つてゐた。一切が一切に対して敵意なくして戦つてゐる如実の事象を、その儘で自分の弱い心に突きつける事が出来なかつた。――今も出来ない。
 (八)と同じテーマをくりかえし提出したかのようである。しかし、提出された問題は同一ではない。(八)では直視すべきものは「予の浪漫的(ロマンチツク)」つまり啄木の内なるものであった。ところがここで直視すべきものは「人生の真面目」である。つまり、人間の生活(人生)のありのままの姿すなわち「真面目」を直視するという課題が自分には不可避の課題として今やたちあらわれた、と告白しているのである。告白の最初の聴き手(読み手)は、啄木がその天才主義最後の時期をしあわせに過ごした函館の、友人たちである。

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