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2014年11月 6日 (木)

石川啄木伝 東京編 295

 つづけて言う。「天地人生に対して、予は予の主観の色を以て彩色し、主観の味を以て調理して、以て、空想の外套の中に隠れてゐる自分の弱い心に阿(おもね)つてゐた」と。この「天地人生」観こそ「一元二面観」の「哲学」である。あの宇宙の根本意志(一元)とその発現としての自己拡張・自他融合(二面)なる「哲学」。この「哲学」で粉飾した天才主義。その天才主義の中に現実に対して無力でひ弱な自分の「弱い心」を隠れさせ、わが「天才」意識におもねらせていた、というのである。
 その自分の「弱い心」は「一切が一切に対して敵意なくして戦つてゐる如実の事象」(「人生の真面目」=この三月に獲得した概念を使えば「国民生活」の真面目)を直視できないのだという。函館時代はもちろん今も。
 啄木は「ローマ字日記」であれほども逃げ廻っていた自己の真実の直視という課題を正面に据えるほかに道はないと、観念したことはしたようである。
 節子の「批判」がしだいに効き目を表していると見るべきであろう。

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