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2014年11月16日 (日)

石川啄木伝 東京編 300

 甲田はつぎのような男として描かれる。「何かの拍子で人と争はねばならぬ事が起つても、直ぐ、一心になるのが莫迦(ばか)臭いやうな気がして、笑はなくても可(い)い時に笑つたり、不意に自分の論理を抛出して対手を笑わせたりする。滅多に熱心になることがない。そして、十に一つ我知らず熱心になると、太い眉をぴりぴりさせる。」 正宗白鳥の小説に出てきそうな主人公である。
 こうした甲田像には、無気力で退嬰的な田舎教師を生み出す地方農村部教育界の弛緩したあり様への批判が裏打ちされている。2か月後に書いた「百回通信 二十六」(岩手日報 明42.11.11)の次の一節がこれを示す。
   少壮有為なる青年にして一度師範学校を出で、職に村閭(そんりょ)に赴くに及びて、一年経ち二年経つうちには何時しか曩日(なうじつ)の元気を失ひて、授業半ばに生欠伸も仕かねまじき人間となる。斯くの如きは吾人の随所に見る所、而して其然る所以は実に小学校教育其物の単調にして平凡、毎日同じ様な煩瑣な事を繰返すものたるに由る。……加ふるに俸給は安くして生活難は日に日に昂まり来る。心ある者は去つて他の職業を求め、然らざる者、若しくは事情の許さゞる者は、有耶無耶(うやむや)の間に三年五年を過して遂に一生有耶無耶に終る。
 甲田造型の背後だけにでもこれだけの「国民生活(ナシヨナルライフ)」批判があることは刮目してよい。

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