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2014年11月28日 (金)

石川啄木伝 東京編 306

 「汗に濡れつゝ(九)」で「人生の真面目」=「国民生活」を直視できないと、嘆いていたが、こちらはどうか。「人生の真面目」を総体的に直視することはできないながら、小説に「人生の真面目」=「国民生活」の一部を意識して取り入れることには成功している。
 こうして、この小説の作者の中でついに革命が起きたようである。
 主人公甲田は「天才」とは縁もゆかりも無い。もし「天才」石川啄木の分身新田耕助が「葉書」で甲田になったのだとすれば、啄木は完全に自己を他者化し、戯画化したことになる。「卓上一枝」で「ライフイリユージヨン(生活幻像)」の「剥落」にたじろぎ、「どうにか成る」「成る様に成る」という「自然派の小説を読む毎に一種の不安を」感じていた啄木が、甲田をまさに自然主義的人間像に仕立て上げたのだ。
 甲田以外の登場人物も甲田に応じて、まったく普通の人間である。すでに見た様に校長・此木田と合わせて見事なまでの田舎教師である。紅一点福富が若さと新しさとかしこさをそれなりに見せてアクセントになっている。これも女性の近代的職業の担い手としての女教師の現実的姿であろう。高橋次郎吉は、「雲は天才である」の石本俊吉が「浪漫的(ロマンチツク)」で塗り固められていたのに対し、それらすべてが剥ぎ取られている。甲田と好一対のキャラクターとなっている。
 花袋や白鳥の影響をさきに指摘したが、啄木ははじめて自然主義を本格的に摂取でき、自然主義の作家になりきれた、と言えよう。

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