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2014年12月 4日 (木)

石川啄木伝 東京編 308

 9月28日(「葉書」執筆直後)の、新渡戸仙岳宛て書簡は啄木の変革の確かさを語っている。摘録しよう。
  気も張りも脱けたやうな一夏を過して、小生も近頃は元気恢復、やるだけの事はやつて見る気を起し候、唯困り候ふは、荊妻上京以来殆んど一日として健康なりし事なく、先(せん)の医者は胃腸が悪いと申し候ひしが、薩張(さつぱり)捗々(はかばか)しからぬ為別の医者に見せ候所、局所の肋膜炎とかの由、老母が居り候故炊事の方の心配はなく候へど、薬餌の料は足らず、子供は暴れる、誠に早や致方なく御座候、
 「気も張りも脱けたやうな一夏」はだいたいローマ字日記時の5月中旬からこの8月中旬ころまでを指していようか。8月と言えば「スバル」8月号巻頭を吉井勇の「夏の思ひ出」百首が飾っている。「スバル歌壇を背負った第一人者」「当時の享楽耽美の一体を代表する歌人」 吉井勇の傑作群である。初めの数首を抜いてみよう。  
 夏は来ぬ相模(さがみ)の海の南風(なんぷう)にわがこころ燃ゆわが瞳燃ゆ
 夏の帯沙
(いさご)のうへにながながと解きてかこちぬ身さへ細ると
 君がため瀟湘湖南の少女らはわれと遊ばずなりにけるかな
 君が間に酒のにほひはただよひぬ今人来
(き)なば何と云ふらむ
 砂山は墓のごとくにきづかれぬ君の墓なりわれの墓なり
 海風
(かいふう)は君がからだに吹き入りぬこの夜抱かばいかに涼しき
 ほんの数ヶ月前までは、なけなしの金ではあったが、妻子老母に送るべき金ではあったがそれらをつぎ込んでは勇や白秋らとささやかながら耽美的な生活をしていたのに、今は勇らの生活となんとへだたったことか。パンの会もますます盛んだ。啄木一人別の道を歩んでいる。

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