« 石川啄木伝 東京編 308 | トップページ | 石川啄木伝 東京編 310 »

2014年12月 6日 (土)

石川啄木伝 東京編 309

 そう言えば「スバル」9月号に白秋の「哀調」42首が載るが、中に次の一首がある。
  わかき日の君ならずして誰か知る才ある人のかかるかなしみ(啄木君を思ふ)
 天才が天才を慕い呼びかけているのだ。「スバル」の編輯兼発行人の啄木は当然読んでいる。今やかの日々に還ることは不可能だ。短期間の内に別の道を歩み始めた啄木はかれらと遠く離れてしまった。
 手紙にもどろう。「近頃は元気恢復」の近頃は「葉書」を構想したと思われる九月の初めころであろうか。啄木にとっては至高の難敵「浪漫的(ロマンチツク)」をかなり克服できたということでもあろう。
 最も注目されるのは「やるだけの事はやつて見る気を起し候」のくだりである。これは文脈からいって家族の生活費を、特に節子の医療費を意欲的に稼ごうという決意がついにできたということである。それにしても節子の病気は心身症的なものなのだろうか、結核性ものなのだろうか。郁雨への愛と引き替えになった夫への愛の喪失・夫への不満・姑との確執等、病因は身心双方にありそうである。
  以前は困れば借金するを何とも思はぬものに候ひしが、近頃それは出来るだけ罷め居候為、寧ろ滑稽に近き事件毎日の様に家庭内に起り候、さればと言つてまとまつた創作などは一定の社の方の務めあれば却々(なかなか)出来申さず、それで色々勘考仕り候ふ上にて思付き候ふは、毎日通信を書いて送ることにして地方の新聞いくらか貰ふ工夫あるまじきかとの一案に御座候、
 借金をできるだけせぬように心がけ、創作よりも社の務めの方を優先し、家計のために副業まで考えている。
 父親譲りの弱点のうちの借金癖・生業の軽視・家族扶養義務の軽視が基本的に克服されたことを示す文言である。

« 石川啄木伝 東京編 308 | トップページ | 石川啄木伝 東京編 310 »

文化・芸術」カテゴリの記事

コメント

コメントを書く

(ウェブ上には掲載しません)

トラックバック

この記事のトラックバックURL:
http://app.cocolog-nifty.com/t/trackback/533861/60758830

この記事へのトラックバック一覧です: 石川啄木伝 東京編 309:

« 石川啄木伝 東京編 308 | トップページ | 石川啄木伝 東京編 310 »