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2015年4月20日 (月)

石川啄木伝 東京編 332

 「誰に向つて胸の霽らしやうも無い」カツが「あなたなればこそ、お話が出来ます」とはじめて人に語った心中。無表情の節子。この「雰囲気」が二人の間を今後も流れる底流である。夫の自己変革、12月20日の一禎の上京・同居などが時々の緩衝材になったとしても。
それにしても先の節子の手紙は、夫婦の関係が好転しつつあることを語っているようである。
 11月5日執筆の「百回通信」十九は発禁問題を取り上げる。
拝啓。文芸取締に関する論議は既に幾年となく繰返されたる処、而して未だ何等の適当なる解決を与へられざる処に御座候。曩(さき)に生田葵山君あり。一作を成す毎に其筋の忌諱(きゐ)に触れて遂に病躯を法廷に立たしめらるるに至り、今は念を文芸に絶ちて美夫人と共に横須賀に匿れ居候。理窟は別として同情すべき事に御座候。以前は発売禁止といふ事は珍らしき出来事として喧伝せられたるものに候ひしが、近頃にては月として雑誌若くは単行の其厄に罷らざる月なき有様に候。医学文学の二博士を兼ね、身陸軍々医総監として陸軍省医務局長たる森氏の作物の如きも亦同じ運命に逢ひ候。社会現象としては随分矛盾ある出来事と可申候。……
 生田葵山の「都会」を掲載した「文芸倶楽部」が発禁になったのは1908年(明41)2月であった。「以前は発売禁止といふ事は珍らしき出来事」だったのに、「近頃にては」毎月雑誌や単行本の発禁がある、と政府の言論弾圧の異常を認識・指摘している。そして森鴎外の「ヰタ・セクスアリス」とこれを掲載した「スバル」7月号までが発禁になったと言う。が、国家権力の理不尽を批判するするわけではない。「国家とか何とか一切の現実を承認して……」 というのがこの時期の啄木の立場なのである。
 そうは言っても「スバル」の編集兼発行人である啄木の「スバル」発禁で受けた異常な衝撃の消えるはずが無い。この通信執筆こそがその証拠である。

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