« 石川啄木伝 東京編 333 | トップページ | 石川啄木伝 東京編 335 »

2015年4月22日 (水)

石川啄木伝 東京編 334

 啄木が「感服し」た「具象理想論」とは「趣味」5月号掲載の「文芸に於ける具体理想主義」であろうか。「具象理想論」は高山樗牛が『近世美学』で紹介した概念であって田中の言葉ではない。田中の「具体理想主義」に触発された啄木は『近世美学』の「具象理想論」を援用して荻原守衛の「労働者」を観ていると思われる。その鑑賞の卓越性 については今は措く。
 2点だけを確認しておきたい。1つは自分の思想的根底として田中王堂の具体理想主義を選びつつあること。もう1つは第4回文展の数ある作品中で日本資本主義の基層をなす新興階級「労働者」の像に刮目したこと。
 11月10日「百回通信」(二十三) を執筆。
  ……友邦英国の社会主義的予算案は、数日前大過半数を以て下院を通過致し候。
  ……由来保守的なる英国にして此事あるは、何人も多大の興味を感じたる所なるべく候。

 啄木が取り上げたのはロイド・ジョージ蔵相が1909年に提出した、富者の負担を急増する予算案である。(この画期的予算案は貴族院と大衝突を引き起こしたが翌年成立。)
  世には社会主義とさへ言へば、直(すぐ)に眉をひそむる手合多く候。然し乍ら、既に立憲政体が国民の権利を認容したる以上、其政策は国民多数の安寧福利を目的としたるものならざる可(べか)らざる事勿論に候。此第一義にして間違ひなき限り、立憲国の政治家は、当然、社会主義と称せらるゝ思想の内容中、其実行し得べきだけを採りて以て、政策の基礎とすべき先天の約束を有する者と可申候。……
 若し之に反して、其政策が少数富豪貴族を利するに偏する様の事ともなれば、啻に立憲の趣旨に戻
(ママ)るのみならず、治国の真諦を没し、従つて国民全般に対して其国民としての義務を尽すを要求する能はざる理論上の破綻に到着致すべく、延いては其破綻が単に理論上の破綻たるに止まらざるに到るべきものに候。
 この場合の「社会主義」とは、内容的にはのちのいわゆる社会政策を意味する。しかし当時にあって、民主主義の根本を把握しかつそれを武器として、堂々と「社会主義」を論じた啄木の見識には驚きを禁じえない。このような知見は元々あったのだが、金を握ると浅草に走り、あるいはローマ字の海にあえいでいたときには、これを論ずべき内的な要求は無かった。足場の無い(思想的根底の無い)生活にあっては無用の代物でしかなかった。
 「生活者」になってはじめて政治・経済等を含むトータルな「国民生活」がかれの眼前に立ち現れた。

« 石川啄木伝 東京編 333 | トップページ | 石川啄木伝 東京編 335 »

文化・芸術」カテゴリの記事

コメント

コメントを書く

(ウェブ上には掲載しません)

トラックバック

この記事のトラックバックURL:
http://app.cocolog-nifty.com/t/trackback/533861/61452583

この記事へのトラックバック一覧です: 石川啄木伝 東京編 334:

« 石川啄木伝 東京編 333 | トップページ | 石川啄木伝 東京編 335 »