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2015年4月23日 (木)

石川啄木伝 東京編 335

 社会主義には1906年(明39)春以来惹きつけられているが、極力これを直視すまいと努めてきたのであった。小樽時代に失業してヤケになっているとき西川光次郎の社会主義に接近したが、ふたたび避けたのだった。以来久々に社会主義への関心を示している。
 11月11日「百回通信」(二十二)を執筆。
 これは11月10日岩手日報に載った「泡鳴来(きたる)」に反応したものである 。岩野泡鳴が樺太で蟹の缶詰業に失敗し帰途盛岡に立ち寄った。インタビューしたのが大信田落花であった。泡鳴はインタービュー後半で中央文壇の小説を論じ、末尾近くで「新体詩では三木露風などは見込があるだらう、然し若いから石川啄木などのやうにだめにならねばいいが………。」と言う。三面のトップで盛岡の人々に向かってこう書かれて啄木もつらかったであろう。「夜半夢覚めて眠りをなし難」くなり起き出して、この「二十二」を綴るのである。その大半は泡鳴賛美の文である。否泡鳴宛の手紙になっている。(新渡戸仙岳もそれを知って、こちらの掲載を一日早めたのであろう 。)終わり近くでこう述べる。
  君は予を目して若くして老いたりと謂へりと。然り、恐らくは予の心(予の浪漫的)は老いたるべし。枯れたるべし。……予は今暗き穴の中に入りて、眼の次第に慣れ来るを待つが如き気持にて、静かに予の周囲と予自身を(注目!)眺めつゝあり。君は積極的の現実に生くる人にして、予は(浪漫的の予は)消極的の現実に死せんとす。
 泡鳴の「積極的の現実」とは「理想の現実」のことである、と啄木は言う。泡鳴は今もその「積極的の現実」に生きていると言う。泡鳴の生き方と作品に敬意と羨望を抱くとともに、正反対の道を歩む自分を思う。啄木自身の「消極的の現実」とは「あるがままの現実」である。自分の「浪漫的(ロマンチツク)」という「理想」は今、「あるがままの現実」に死んでゆこうとしている。こう思うと「利己の涙」が湧く、というのだ。

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