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2015年4月27日 (月)

石川啄木伝 東京編 339

 啄木が論じた「工場法案」は『職工事情』(農商務省商工局、1903年)という調査報告書と深くかかわるが、この報告書について大河内一男はこう解説している 。
   ……後進国日本が日清戦争に勝利を収めた後、輸出産業の急速な躍進の波に乗りながら、技術の改善、産業規模の拡大、雇傭の増大、政府の保護などを受けながら、もっぱら「富国強兵」の旗幟の下に、非合理的で酷薄な労使関係を繰りひろげて敢てかえりみなかった時期の記録である。明治十五年前後から日本に近代産業が移植されはじめた当時から、工場法ないし職工条例のごときものを準備することの必要が一部にさけばれていたいかかわらず、一部の官僚を除いては、産業界は全くこれに耳を藉すことなく……工場法実現の提案を一蹴し去ってきたのである。……また日本の産業構造の中で輸出産業が圧倒的な比重を占めていたこと、而もこれらの輸出産業の中ではまた綿糸紡績、生糸、織物のような繊維産業が中心であり、そこに集められた「労働力」は、……九割以上が農村からの「出稼ぎ工女」であった、等の理由によって、……「労働力」の喰い潰しも、……容易に克服清算することが出来なかった。そして、ことの深刻さに気付いて対策が講ぜられ始めたとき(明治四十四年、工場法)は、すでに事態は取りかえしのつかない程に悪化してしまっていたのである
 こうして、先の政井みねの死をめぐる一文は『職工事情』の膨大な内容を凝縮するものとなっている。その死は時代の基底を象徴的に垣間見せる悲劇なのである。
 さて、11月8日頃からの約10日間に啄木は田中王堂のものをまとめて読んだらしい。先の「文芸に於ける具体理想主義」の外に「具体理想主義は如何に現代の道徳を理解するか」(文章世界、09年1月号)「岩野泡鳴氏の人生観及び芸術観を論ず」(中央公論、09年〈明42〉9月号)を読んだと推定される 。おそらく「島村抱月氏の自然主義」(明星、08年〈明41〉8月号)も再読しているだろう。(以下においては、それぞれの論を「文芸」「道徳」「泡鳴氏の」「抱月氏の」と略記する。)
 啄木が王堂の思想を受容したのには訳がある。

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