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2015年5月 1日 (金)

石川啄木伝 東京編 343

 「無題(秋の夕べの重くるしさ……)」を引こう。
 
 秋の夕べの重くるしさ
 柳の枝は一条々々に
 限りなき重たさを以て、
 冷たい鉄の欄干
(てすり)に口づけ、
 椅子による男の膝には、
 涙にぬれた女の顔――
 
 空をとぶ烏の羽音を   
 小蒸気の汽笛がかきみだし、
 遠くで鉄板を叩く音。
 小児は空気の重さに泣き出し、
 大川は水の逆さに流れる時。

 室の中には青白い瓦斯の光が
 卓の上の紅薔薇を黒く見せ、
 振子の動かぬ時計の中に、
 人生の階段を下る重い重い
 「時」の獣の忍びやかな足音が潜む。

 秋の夕べの重くるしさ。
 女工は給料を前借して家路を急ぎ、
 厩には馬が病む。
 別ればなしが女を泣かせ、
 男は手足のやり場にこまる。

 秋が一番好きな啄木だが、この詩の「秋の夕べ」は「重くるし」い。節子家出の大ショック、帰宅後ますます悪化した嫁姑の険悪の仲。家庭の空気は重苦しく、それを察する京子は荒れる、泣く。そんな詩人の生活背景を念頭に置いて読むのがこの詩の場合有益であろう。
 四つの連からなる。起承転結をなしている。
 第一連。
 「秋の夕べの重くるしさ」は柳の枝と鉄の欄干に象徴される女と男の仲に表わされる。
「柳の枝」はその小枝一本一本に無限の重さを持たせているかのように「冷たい鉄の欄干」に垂れかかる。まるで接吻するかのように、離れがたく。
泣きすがる女は男と離れたくない無限の思いがある。男は冷たい。
 起の連は屋外の視覚的世界である。
 第二連。
 夕暮れの重苦しさに堪えかねたかのよう飛び立つカラス。その羽音さえかき乱す小蒸気船の汽笛、鉄板を叩く音。
 「小児」には、母と祖母のいがみ合いに堪えられぬ幼女京子の苦しさが透けて見える。そして大川(隅田川)の逆流には妻節子の反逆が。
 承の連は屋外の聴覚的世界である。
 第三連。
 景は室内に転じる。青白い瓦斯灯の光はすでに室内が暗いことを示す。「卓」があり「紅薔薇」があるから洋食店の室内か。「振子の動かぬ時計」はその店(であるとして)が二流以下であることも表していようか。
 その「振子の動かぬ時計の中に」時間が進む。室内にいる人は下降する「重い重い」「人生」の「時」を歩んでいる。わたくしは先に見た書簡を想起する。「私には新しき無言の日が初まりました。私はこの、一寸のひまもなく冷たい壁に向つてゐるやうな心持に堪へられません。然しこの心持をそらすやうないかなる方法もとりたくありません。」妻家出の五日後に金田一に宛てたはがきの一節である。
 転の連は室内で推移する重い時間である。
 第四連。
 「秋の夕べの重くるしさ」に還る。「女工」は「給料を前借して家路を急」ぐ。家の貧しく重苦しい家計を暗示する。彼女の父は馬が仕事道具なのであろう、農耕馬か荷役馬であろうその馬は今「厩」で病んでいるのだ。(「前借」と言えば啄木の代名詞。毎月毎月前借しては「家路を急」いでいた。)
 男と女の重苦しい関係は「別ればなし」だった。別れまいとするのは女の方ばかり。「男は手足のやり場にこまる。」男女逆転すれば啄木と節子の関係のパロディだ。
 見事に起承転結が決まっている。
 啄木はここで私小説的な詩を書こうとしたわけではない。「都市生活の諸相と都市生活者の心理をパノラマのように繰り広げる」ことを主題としている思われる 。視点はもちろん耽美派に対立する「生活者の視点」である。しかし今年の秋の事件は詩作にあたって避けて通れぬ衝撃だったのであろう。
 小川武敏が啄木の「この時期の詩的発想の全てを含む重要な」作品であると言い、木股知史が「『心の姿の研究』に加えられても少しも不思議ではない」詩と評価している とおり、啄木詩の傑作に属する。
 これを「心の姿の研究」に入れて発表しなかったのはなぜか。啄木が「あまりに自己の生活や心情を反映した詩」だからであろうという小川武敏の推察 が正鵠を得ているように思われる。

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