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2015年5月 4日 (月)

石川啄木伝 東京編 346

 11月26日節子は妹のふき子に手紙を書く。宛先は函館区旭町宮崎方堀合ふき子となっている 。10月26日に宮崎家に嫁ぎ郁雨と夫婦になったはずだが、まだ「宮崎ふき子」ではない。婚姻届が出されたのは翌年1月24日である。どのような事情があったのか。  
 当時の宮崎家は「七夫婦三十人の大家族」であった 。そして嫁いで早々から宮崎家跡取り息子の嫁ふき子の想像を絶する苦労がはじまったらしい。宮崎郁雨の歌集「椿落つ」 から2首引いておこう。 
 君の来しその夜家風を説き聞けし父の無慙は今も忘れず
 われ父の撰びし人を否みしを含むかとしも思へ
(ママ)き父を
 「父」は宮崎家の当主宮崎竹四郎である。
 新妻ふき子の不幸の最たるものは夫郁雨の病気(今で言うノイローゼのたぐいか)であっただろう。このふき子に節子は書く。
 ふき子さん其の後はどうしておくらしですか、夢の様に一ケ月はおくらしでせう。何でも結婚当時はうれしいさうですから、あなたもたのしくくらしてお出でだらうと思ひます。兄さんはどうですか。あなたがかぶれたくらゐえらいよい人ですか。姉さんにだけはすべてお家の事ももらしてもらはねばなりませんよ、今では立派な御主人がおありですけれども、其れやこれやのことに充分お力になりますからすべて云ふてよこして下さい。相変らずお頭りがお悪いのですか、よくなぐさめて上げて、皆さんのお気に合ふ様にしなければなりませんよ。
 「相変らずお頭りがお悪い」のは郁雨である 。新妻は郁雨にとって節子の魅力とはかけ離れていたらしい。郁雨は結婚してますます節子を想い、ノイローゼになったまま新婚生活を送っているらしい。新妻は「七夫婦三十人の大家族」の中で孤立したまま頼る者さえいなかったようだ。
 節子はそんな妹の事情は全く想像していない。郁雨と結婚したのだから妹は「夢の様に」しあわせにちがいないと思っている。羨望の念さえ窺われる。そして函館の2軒の質屋においてきた帯と羽織を請け出してくれるよう「兄さん」に頼んでほしいと言い添える。
 節子がこんな手紙を書いていたのと同じころ、啄木は詩論「弓町(ゆみちやう)より(副題)食(くら)ふべき詩」の執筆にかかる。 
 これは11月30日の「食ふべき詩(一)」から12月7日の「食ふべき詩(七)」まで7回にわたって東京毎日新聞に連載された。
 「弓町より」は筆者の生活と発信の場を表し、署名石川啄木がこれにつづいている。つづいて本文の頭に記される副題「食(くら)ふべき詩」は詩論の内容を表す。
 1回~4回は自己の天才主義時代から生活者の視点獲得(現在)までの、簡潔を極めた自叙伝になっている。
 天才主義時代の自分に対する痛烈きわまりない自己批判が「空想家――責任に対する極度の卑怯者」の一言に凝縮されている。ここにこそ「回心」・「生活者の視点」・直視の思想の源泉がある。ここから啄木の「新らしい詩の真(まこと)の精神」も発する。

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