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2015年5月12日 (火)

石川啄木伝 東京編 354

 第2連に行く。
 場面は一転して質屋の内そして外である。白秋の「瞰望」に学んだらしく詩人の内なる視点は移動する。
 「質屋」はここに通わないと生活できない貧乏生活者たちの交差点。「蒼ざめた女」は肺病やみか。質の受け渡しをめぐって悲しいことがあるらしい。「燈火にそむいてはなをかむ」のは涙をかくす所作でもあろう。詩人の視線は移動して質屋を出る。路次(大通などから入った、家と家との間の狭い通路)の出口に向かう。そこには「背低い女」が「情夫」の背を打って、質屋で金を工面してきたことを知らせる。「背低い女」は、魅力に乏しい女を意味しよう。だから「情夫」に貢ぐのだ。
 「遠い国」でも「海」の上でもない〈この国〉の「質屋」の一光景は、〈この国〉の市井の貧乏生活者たちの象徴でもある。啄木一家はこの明治42年も翌年も質屋と縁が切れない。節子の質屋通いはつづいた。しかし啄木の収入は少ない方ではない。債務(蓋平館)や病院代、啄木の金遣いのあらさ、などが家計を苦しくしたとしても、啄木一家の収入は当時の市井では中流には入るだろう。「背低い女」はもっと貧しい。
 つまり第2連は〈この国〉の大都市の大多数を占める貧しい生活者の光景なのだ。
 ここから第2連を読み返してみよう。
 第2連の人達からすると、パンの会の人たちの、西洋にあこがれ、パリにあこがれ、「酒宴」を享楽する生活は別世界だ。つまり「海」の上の世界だ、とも詩人は言っているようである。
 第3連で主題が展開する。
 「何か事ありげな――/春の夕暮の町を圧する/重く淀んだ空気の不安。」
 「何か事ありげな」はどこにかかるのか。タイトルでは「春の夕暮」に直接かかっているが、詩ではダッシュがあるから、もっと後ろにかかってゆく。かといって「不安」にまではおよんでいない。「何か事ありげな」はすでに「不安」の内容の一部である 。「空気」にかかると読むべきだろう。「空気の不安」は「空気が醸し出す不安」であろう。
 「町を圧する……空気」は、単に「町」を圧するのではない。詩の構造は「遠い国」があって「海」があり、したがって〈この国〉があっての「町」なのである。「町を圧する……空気」はやがて〈この国〉の町々=都市を圧する空気でもある。(漱石『それから』の「不安」に通う。)
 残りの2行。「仕事の手につかぬ一日が暮れて、」には作者の生活が顔を出している。勤め人や職人などにとって「仕事の手につかぬ一日が暮れ」ることはあまりに特殊な事情である。むしろ文筆を事とする人間が想定されている。しかし「町」が単に「町」でないように、「何に疲れたとも知れぬ疲」は〈この国〉の都市生活者の「疲(つかれ)」の表現でもあろう。

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