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2015年5月13日 (水)

石川啄木伝 東京編 355

 第4連。
 「遠い国には沢山の人が死に………」単なる幻想ではなく、日々目にする新聞から吸収した情報が、閃いているのであろう。
 「(遠い国には)また政庁に推寄せる女壮士のさけび声………」。今井泰子は早くに指摘した。「この一行は、当時の欧米の婦人参政権運動の中でも、特に戦闘的、急進的であった、エメリン・パンクハーストが指導するサフラジェットと呼ばれる女達の姿の点描である。つまり『女壮士』とは文字通り女権運動家、『政庁』はイギリスの首相官邸ないし議事堂を意味している」 と。
 「遠い国には」にはこうして大きな事件が起こっている。
 「信天翁の疫病」についても今井泰子の示唆に富む指摘がある。当時の詩壇には上田敏の訳詩集『海潮音』所収の「信天翁(おきのたゆう)」(ボードレール)という規範が君臨していて、「その詩の中でこの鳥は、理想に向かう折には輝かしい栄光に包まれながら、現実生活に適応できない詩人の象徴物とされている。……つまり当時の了解では『信天翁』とは、芸術至上の詩歌人が詩的情動を託すにふさわしい鳥であった。そこで、そうした世界との訣別を宣言した啄木としては、『疫病』というネガティヴなイメージを重ねずにはいられないのであろう」と。こうして今井は第二連の「難破船の上の酒宴」にも、「頽唐派詩人達」の「人生態度」を見たのである。
 啄木はたしかにパンの会に拠る詩歌人たち(ついこの3月までは親しかった)の耽美主義を「病んでいる」と批判しているのだ、「食ふべき詩」で批判したように。となるとここの「海」も新しい意味を帯びる。第2連や第5連に登場する貧しい人々からすれば、パンの会の連中の世界は遠い海の上ほどにも遠い世界だというのであろう。
 「あ、大工の家では洋燈が落ち、
 大工の妻が跳び上る。」
 通常自然に「洋燈が落ち」るということはあり得ない。「大工の妻」が火を入れたランプを、たとえば吊り下げようとして、あやまって落としたというのであろう。下は板の間であろう。落ちたランプのホヤはこわれ(石油のツボもこわれ?)る。足元におそるべき危険物が落ちたので「大工の妻」は「跳び上る」。ランプを使っていた時代の人はだれでも知っている。石油がこぼれ、板の間にひろがり、それに火が燃え移る怖さを。この2行は、まだ出現していないけれど、めらめらと燃え上がる炎さえ、見せている。
 「遠い国には」戦・沢山の人の死・女権拡張運動高揚という「事件」があるが、〈この国〉の「春の夕暮の町」では火の入った「洋燈が落ち」るという「事件」が。これはあまりに小さな市井の一「事件」のようでもあるが、どんな大火にもつながりかねない「事件」でもある。

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