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2015年5月14日 (木)

石川啄木伝 東京編 356

 さて以上を踏まえて詩を読み返してみよう。
 この詩の骨格はこうである。
  一、遠い国には事件・海には難破船上の酒宴(耽美派批判)
  二、この国の市井の一角の貧しい生活者点描
  三、春の夕暮れの町を覆う不安と疲れ
  四、遠い国には事件・海には信天翁の疫病(耽美派批判)
  五、大工の家では火の入った洋燈が落ちる
 詩の中核は真ん中の連である。ここにこの詩における詩人の「心の姿」の中核すなわち表現すべき「心」そのものがある。この町・この都市・この国を覆う得体の知れない不安と説明のつかない疲れ。
 これを詩化するのに用いたのが「散文的脈絡を無視したイメージの直接的提示という斬新な詩法」 なのである。
 木股知史はこの詩について技法についてつぎのように解析する(木股は1・4連を「内部の幻景」、2・5連を「外部の印象」ととらえている)。
 内部の幻景と外部の印象が交錯し、場面の並列(並列に傍点)ではなく、転換(転換に傍点)の技法が獲得されている。また、イメージを提示する部分(一、二、四、五聯)と「仕事の手につかぬ一日が暮れて、/何に疲れたとも知れぬ疲がある。」という情調の説明部分(三聯)が、はっきりわかたれているので、詩の世界が立体的に感じられる。話法も単一でないため、だれかが語っているのではなく、言葉そのものが提示されるという印象をつくりだすことに成功している。最後の「あ、大工の家では洋燈が落ち、/大工の妻が跳び上る。」という2行は、間投詞の使用によって、描写でなく、声によるイメージの提示という転調の役割を果たしている。
 このような技法の下に、前述のような内容が盛り込まれているのである。凝縮度の極めて高い詩となっている。
 「遠い国には」大きな事件があって、〈この国〉には大事件がないのではない。つい最近では伊藤博文暗殺事件があった。啄木も震撼したのである。しかし啄木のアンテナはより重大な事件を予感するかのように、この詩をうみだした。
 詩人村野四郎の有名な鑑賞を引こう。
  この詩の作られたのが、明治四十二年十二月であり、幸徳秋水らの大逆事件が発覚したのが、翌四十三年の五月である。この作品のイメージにあらわれた悪寒と戦慄の異常な危機感は、そうした切迫した社会情勢を反映して、すさまじい詩的現実感をもりあげている。これは、いかなる思想の説明でも演技でもない。
 補いたい。この年の11月3日夜、宮下太吉は試作した爆裂弾を明科の大足山中で投擲し、爆発に成功した。後日を期して明治天皇に向かって投げつけようとする爆裂弾である。宮下はさっそく幸徳秋水・管野須賀子・新村忠雄のいる千駄ヶ谷の平民社に手紙を出した。その中には「赤児ノ泣声カ非常ニ大キクテ驚イタ」の文言があったという。啄木が「事ありげな春の夕暮」を発表したのが12月16日、宮下が爆裂弾の材料をもって、上京したのは、暮れの31日。平民社に直行した。
 昨年6月の赤旗事件に端を発した明治天皇暗殺計画はこうして不気味な現実性を帯びてきた。このような計画を生み出すほどに国家権力が時代を閉塞させていたのである。啄木の預言者的資質はこれまでも見てきたが、まさに時代の異常に「重く淀んだ空気の不安」を感じていたのであろう。

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