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2015年5月15日 (金)

石川啄木伝 東京編 357

 「食ふべき詩(七)」にあった「我々の要求する詩は、現在の日本に生活し、現在の日本語を用ひ、現在の日本を了解してゐるところの日本人に依て歌はれた詩でなければならぬ」はみごとに実現されている。
 つぎは「心の姿の研究(四)」(東京毎日新聞12月20日)。これは2編の詩からなる。「柳の葉」と「拳」と。

   心の姿の研究(四)  石川啄木
   
    柳の葉

 電車の窓から入つて来て、
 膝にとまつた柳の葉――

 此処にも凋落がある。
 然り。この女も
 定まつた路を歩いて来たのだ――

 旅鞄を膝に載せて、
 やつれた、悲しげな、しかし艶かしい、
 居眠を初める隣席
(となり)の女。
 お前はこれから何処へ行く?

 電車通りの柳といえば、啄木の通勤電車が走る銀座の柳が浮かんでくるが、それはさておき、「電車の窓から入つて来」た柳の葉は、あたかも詩人の目を引こうとするかのように「膝にとまつた」。元の樹の一つの枝のそのうちの一本の小枝から凋落し、風に乗って来たのである。詩人は「柳の葉」に人間の来歴を見る気がする。
 第2連の「此処」は同じ電車の中である。「この女」に故郷と家族から離れ東京にやってきた女の来歴を見る。それも「凋落」した(落ちぶれた)女の来歴を思う。「この女」も新都市居住者の一人である。こう解釈する根拠は「定まつた路を歩いて来たのだ――」の1行である。
 「旅鞄を膝に載せて」いるが、今上京したばかりなのではあるまい。電車の中で居眠りをするのだから。上京後の生活がどのようなものだったかは「やつれた、悲しげな」が知らせている。「艶かしい」はいくつかの意味があるが、ここでは「あでやかで上品な美しさがある」(新潮現代国語辞典)の意味であろう。ローマ字日記(4月26日)に浅草の新松緑の「美しくて品のいい(ことばも品のいい)たま子」という女性が出て来る。この女性は店に入ったときは40円の借金だったのに、女将の罠にはまって借金は100円になっている。なんとかこの店を出たいという。そんなくだりがあった。この女性はあれからどうなったであろう。「隣席(となり)の女」は「居眠を初め」た。「お前はこれから何処へ行く?」
 凋落の果ての女たちの悲しい姿を、啄木は浅草で、そこの塔下苑で、たくさん見ている。Masaのような女性もいた。女性は特に生きにくい時代である。
 詩は「国民生活」の一断面をたしかに切り取っている。

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