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2015年5月26日 (火)

石川啄木伝 東京編 363

 加藤周一のつぎのような指摘は日本の自然主義の本質を突いている。
  ……ゾラの小説は、第一に、生物学的方法をふまえ、第二に、広大な社会的視野をそなえ、したがって作者その人を主人公とせず、第三に、市民社会を対象とする。この第一点は、彼の《naturalisme》の特徴だが、第二点は早くもバルザックの行ったところであり、第三点は一般に一八世紀以来の多くの小説に共通である。しかるに藤村や白鳥等の仕事は、以上の三点を全く欠く。科学的方法とは何の関係もなく、―― 一九世紀末二〇世紀初めの日本には科学主義はなかった――、小説の世界は極度に狭く、作者の身辺雑事に限られ、しかも主題は市民社会内部の矛盾ではなく、市民社会の未成熟にもとづく紛争を主としていた。英訳でゾラの一部を読んだ日本の小説家は、ゾラを誤解したのだろうか。おそらくそうではあるまい。彼らはゾラの裡に《naturalisme》を読んだのではなく、一九世紀の西洋の小説一般を読んだ。ゾラの小説のなかに、ゾラに固有の性質をではなく、トルストイやドストエフスキーにさえも共通し、しかしたとえば馬琴の勧善懲悪小説や紅葉・露伴の美文からは遠く隔っていたところの、人生の「真相」の「露骨な描写」を見つけたのである。彼らは日常生活のなかで自分がどう生きるかに苦労していたから、社会の全体を考える暇はなかった。
 
このような「自然主義」の小説群と長谷川天渓らの評論を、折衷的に取り込んで、日本の自然主義を理論化しようとしたのが島村抱月であった。かれは約三年半の洋行を終えて帰朝したが(05年9月)、日本の自然主義と出会ってこれを支持するようになりつつも、自然主義の行く手には「神秘的象徴的」文学さらには「宗教的」文学が待っていると考えていた。この見地と相まってかれの根本にあるのは若いころから一貫する「観照論」であった 。それは社会とのましてや国家権力との確執など無縁の境地であった。
 この「観照論」という坩堝に現実の自然主義作品を溶かし込んだ抱月的自然主義論が前掲「自然主義の価値」と「芸術と実生活の界に横たはる一線」(早稲田文学、08年9月)である。自然主義がもっていた積極的要素はそれらの中で溶け去り、自然主義は理論的に変容を遂げてしまった。

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