« 石川啄木伝 東京編 363 | トップページ | 石川啄木伝 東京編 365 »

2015年5月28日 (木)

石川啄木伝 東京編 364

 以後自然主義は前記の「観照と実行(あるいは実行と芸術)」論争の中で支離滅裂となり、自己崩壊してゆく。そして1909年(明42)の文壇も「この『実行と芸術』論議で明け暮れた」 。
 さて、こうしたことを踏まえて啄木の「一年間の回顧」にもどろう。
 啄木は明らかに誤認している。1909年(明42)末になってもまだ、自然主義に望みを託しているのである。
 その外的証拠として、文芸革新界という反自然主義組織の結成をあげる。すなわちこれが今の「停滞弛緩の傾向」にある自然主義にとって「一の新らしい刺戟」になるというのである。そしてこうつづける。
  右の事実は、永井荷風氏の作物が自然派非自然派を通じて一般読書界から異常な歓迎を享けた事実、森田、小宮、阿倍諸氏――一新聞記者の所謂青年大学派の崛起した事実、及び過去一年間に起つた色々の事実と共に、明治四十二年に於ける教養ある日本人が――も少し狭く言へば明治の日本人の最初の哲学の萌芽であるところの自然主義的精神が、更に一層其反省を深くせねばならぬ必要があつた事と、然して其新らしい反省が漸く始められた事とを外部(仮に)から暗示するものである。
と。
 啄木はさらに別の二、三の兆候を挙げて「すべて其等の新らしい傾向は、内部(仮に)から同一の事を暗示するものである」と言う。

« 石川啄木伝 東京編 363 | トップページ | 石川啄木伝 東京編 365 »

文化・芸術」カテゴリの記事

コメント

コメントを書く

(ウェブ上には掲載しません)

トラックバック

この記事のトラックバックURL:
http://app.cocolog-nifty.com/t/trackback/533861/61636623

この記事へのトラックバック一覧です: 石川啄木伝 東京編 364:

« 石川啄木伝 東京編 363 | トップページ | 石川啄木伝 東京編 365 »