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2015年5月30日 (土)

石川啄木伝 東京編 365

 これらの自然主義評価において、啄木にはめずらしいほどの錯誤をおかしている。しかしつぎのくだりには新生啄木の面目が躍如としている。
   以上は実に過去一年間に於ける日本文学の主潮の推移の意味である、と私は見る。斯くの如き推移は、決して彼の観照と実行に関する論議の如く、風の如く消え去るべきではない。新らしい反省の後には新らしい開眼と新らしい活動が出来なければならぬ。私は此の推移の前途に対して、少くとも、彼の第二十六議会に於ける地租軽減論の運命とか、工場法実施後に於ける一般労働者の思想上の変化とかに対すると同一の熱心と興味とを以て注意するものである。
 錯誤の上にたつとはいえ「日本文学の主潮(自然主義)の推移」を、「地租軽減論の運命」「一般労働者の思想上の変化」に「対すると同一の熱心と興味とを以て注意する」とはなんという文学者であろう! 
 「文学上に於ける自然主義の運動」を「時代精神の要求に応」じた運動と見なす啄木は、その「時代の精神は、休みもせず、衰へもせず、時々刻々進み且つ進んでゐる」と楽観する。そして
   ……彼此考へ合せて目を瞑ると、其処に私は遠く「将来の日本」の足音を聞く思ひがする。私は勇躍して明治四十三年を迎へようと思ふ。
と記す。12月22日夜である。となりの部屋ではほろ酔いの父一禎が軽やかないびきをたてているかも知れない。

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