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2015年6月 4日 (木)

石川啄木伝 東京編 267

 「感情の清新といふ事だけから言」うだけにしても、水野葉舟より劣るとは、荷風もずいぶん低められたものである。葉舟の「おみよ」「ある女の手紙」あたりを啄木は念頭のおいているのであろうか。「百回通信 二十」で啄木は「新帰朝者の日記」を読んだことを述べているから、発禁になった『歓楽』ではなく、『荷風集』を読んだようである。と言うことはもっとも重要な「歓楽」「監獄署の裏」「祝杯」の3編は読んでいないのかも知れない(雑誌掲載時に読んだ可能性はあるが)。
 荷風作品への批判的評価は啄木の当面の批判対象が耽美派であること、啄木自身は強いて言えば今のところ「自然派」であることと表裏をなすのであろう。
 また花袋・荷風を挙げながら、漱石について言及がないこともこの時期の啄木に特徴的である。この年5月には『三四郎』が春陽堂から出、6月27日~10月14日には「それから」が東京朝日に連載されたのである。啄木は先に見たように漱石門下の森田草平、小宮豊隆、阿倍能成を評価するが、漱石には距離を取っているかに見える。(この年10月~12月に東朝に連載された「満韓ところどころ」に啄木が批判的であったであろう事も影響してるかも知れない。注83参照)
 5つ目の段落で「世の中には、自分及び自分の仕事を何の考量比較を費すことなくして、特に他人及び他人の仕事より尊貴なものとし、何者よりも侵さるゝを許さぬものとしてゐる人がある」にはじまる、耽美派批判を展開する。標的は白秋・杢太郎よりも荷風その人ではないかと思われる内容である。

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