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2015年6月 6日 (土)

石川啄木伝 東京編 368 

 最後(8つ目)の段落は浪漫主義を論じるところから始まる。最初の上京(02年10月)以来ついこの間(09年9月)までの約7年間、浪漫主義に陶酔し、実行し、大地にたたきつけられるまで辛酸をなめ尽くしたのであった。いわば浪漫主義の酸いも甘いもかみ分けた人の言葉である。
   浪漫主義は弱き心の所産である。如何なる人にも、如何なる時代にも弱き心はある。従つて浪漫主義は何時の時代にも跡を絶つ事はないであらう。最も強き心を持つた人には最も弱き心がある。最も強き心を持つた時代には最も弱き心がある。
 こうして啄木はまず、自分を触発してくれた阿部次郎の「驚嘆と思慕」への深い共感の念を表明する。
  十二月十日の朝日新聞に載つた阿部峙楼氏の「驚嘆と思慕」といふ、情理並び到れる一文は、はしなくも私の心を動かした。「自然主義の浪漫的要素を力説したい」といふ氏の心境には言ひがたき懐しさがある。
 阿部は「今の人の心は疲れ老い古び且つ冷めて」かつてワーズワスが「虹」で歌ったような「素朴無邪気な」「驚嘆(ワンダア)」は失われてしまった。しかし「失ふとは必ずしも忘れることではない」「驚嘆を失つた心は」かえって「前古無比の強さを以て之を思慕する様になつた」という。こうした展開を受けて啄木は続ける。
   が、あのうちに氏は、吾人の生活は、「新鮮なる心を失ひて新鮮なる心を愛するの念は愈々募り、生命の尊さをしみじみと感ずるのに、生命の疲労次第に身に迫るを覚ゆる生活」であるとして、そして「此の如き状態に在りて真正に生きようとする努力の行き途は、唯思慕する情を強め、驚嘆し得ぬ心を悲しむ哀愁の念を深めて、此方面より生命の源に遡るより仕方がない」と言つてあつた。
 阿部は今の日本にあって「真正に生きようとする努力の行き途は」「驚嘆し得ぬ心を悲しむ哀愁の念を深め」て驚嘆へ「遡るより仕方がない」という。啄木は問う。「果して我々には、実にさうするより外に真正に生きる途が無いのであらうか」と。
 啄木はこう自答する。

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