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2020年1月 2日 (木)

石川啄木伝 東京編1910年(明治43) その2

  さて、めでたい年賀状を書いた啄木だが、正月早々「スバル」
新年号「消息欄」に江南文三の例のくだり(石川啄木伝東京編
370参照)を見て、啄木は憤慨したようである。

 1月9日札幌に移住していた大島経男に長い手紙を書く。
「食うべき詩(一)」「一年間の回顧」「巻煙草」に書いたこ
とが、生き生きと簡潔にまとめられている。
 最後に自分の生活の現状を報告する。
  ……とも角私は勇躍して明治四十三年を迎へました、
現在私は朝日新聞社で校正をやつてをります、伝道婦して
北海道にある妹をのぞいては、父も母も妻も子も今は皆私の許
にまゐりました、私は私の全時間をあげて(殆んど)この一家
の生活を先づ何より先にモツト安易にするだけの金をとる為に
働いてゐます、その為には、社で出す二葉亭全集の校正もやつ
てゐます、田舎の新聞へ下らぬ通信も書きます、それでも私に
はまだ不識不知空想にふけるだけの頭にスキがあります、
目がさめて一秒の躊躇もなく床を出で、そして枕についてすぐ
眠れるまで一瞬の間断なく働くことが出来たらどんなに愉快で
せう、そして、さう全心身を以て働いてゐるときに、願くはコ
ロリと死にたい――かう思ふのは、兎角自分の弱い心が昔の空
想にかくれたくなる其疲労を憎み且つ恐れるからです、

 王堂の言う「理想」によって「欲望(文学に向かう心)」を
「整斉」する姿である(石川啄木伝東京編344、345参照)。
あまりに真面目なあまりに熱心な……。これでは文学者石川啄
木は死んでしまう。このまま行くとプラグマティスト石川啄木
だけが幽鬼のようになって残るだろう。
 末尾は今札幌にいる(と思っている)橘智恵子にふれ、そのあ
とをこう結ぶ。
  あ、それから一つ喜んでいたゞきたい事があります、それ
は、以前から悪縁でつながつてゐたスバルと今度全く内部の縁
をきりました、編輯兼発行人の名も変へました、――かうして
私は、すべて古い自分といふものを新らしくして行きたく思ひ
ます、
 年末12月24日の郁雨宛書簡には「正月以後は毎号スバル
と新小説で評論も発表する」と書いている。「スバル」12月号
に載った「昴正月号予告」には石川啄木の小説「中折帽」も予
告されている。ついこの正月までは「スバル」と縁を切るつも
りはなかった。文三の揶揄が啄木を怒らせたのだ。

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