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2020年1月12日 (日)

石川啄木伝 東京編 1910年(明治43)その10

 性的な主題は多吉が校長夫婦の性を揶揄する部分などに既に姿
を見せていた。本格的には実地授業批評会冒頭における「眇目(か
ため)の教師」××の発言をきっかけに展開される。(ゴシック体
は近藤の復元試案)
  一同何を言ひ出すのかと片唾をのんだ。常から笑ふ事の少
い眇目(かため)の教師は、此の日殊更苦々しく見えた。そして語
り出したのは次のやうな事であつた。――先月の末に郡役所か
ら呼出されたので、何の用かと思つて行つて見ると、郡視学に
別室へ連れ込まれて意外な事を言はれた。それは外でもない。
自分が近頃ここにゐなさる山屋さんと理無(わりな)い仲にある
いふ噂があるとかで、それを詰責されたのだ。――
 「実に驚くではありませんか?噂だけにしろ、何しろ私が先
づ第一に、独身で斯うしてゐなさる山屋さんに済みません。それ
に私にしたところで、教育界に身を置いて彼此三十年の間、自
分の耳 の聾(つんぼ)だつたのかも知れないが、今迄つひぞ悪い噂
一つ立て られた事がない積りです。(中略-引用者)私は学校
に帰つて来て から、口惜しくつて口惜しくつて、男泣きに泣き
ました。」    (引用者中略)
  一同は顔を見合すばかりであつた。と、多吉はふいと立つて
外へ出た。そして便所の中で体を揺(ゆすぶ)つて一人で笑つた。
苦り切つた××の眇目(かため)な顔と其の話した事柄との不思議な
取 合せは、何うにも斯うにも可笑しくつて耐らなかつたのだ。
 老人の性(性欲)への嘲笑である。老人の性はなぜこんなに笑わ
れねばならないのだろう。作者の批判(嘲笑)の立脚点が分からな
い。おそらく「私小説」的に読むことだけが解釈を可能にする。

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