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2020年1月17日 (金)

石川啄木伝 東京編 1910年(明治43)その14

「娼婦」の中にも「娼婦性」を生得としては持たない人がたくさ
んいるだろう。まして女性全体でいえば「娼婦性」を持たない人
は無数にいるはずである。しかし「娼婦性」を持つ人もたくさん
いるはずである。
 多吉が感じているのは、多吉の誘惑的言動にあるものを期待し、
その言動に応じて男の気を惹こうとする女の態度である。これは
若い女性の性欲の発動の一形態であって多吉の誘惑的挑発的言動
(こちらは若い男性の性欲発動の一形態)と表裏をなす。これを
「娼婦性」と呼ぶなら、多吉にも「娼夫性」とでも呼ぶべきもの
があることになろう。ナンセンスに行き着く。
 一つの問題がある。多吉は独身の男なのか、妻帯者なのか、で
ある。若いうぶな男には言えないセリフ、浮かばない疑問であり
すぎる。渋民時代の啄木が妻帯者であったように多吉を暗黙のう
ちに妻帯者として設定しているのであろう。となると松子の多吉
に対する態度は妻有り男性に対するものとなる。微妙に「娼婦性」
に触れてくるともいえる。
 とはいえ松子にその傾向が若干窺われるからと言って「女には
皆娼婦の性質がある」と飛躍できるものではない。
 啄木が問題として提起したテーマは女の性・性欲の奥深さであ
ろうと思われる。
 なぜこんな問題を出してきたのか。小川武敏はそこに「妻節子
の存在」を見る。小川は言う。

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