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2020年1月 8日 (水)

石川啄木伝 東京編 1910年(明治43)その7

(承前)前年末に父を迎えて一息ついた啄木が、残余の人生に対し
て既に何等の希望も持たぬ無気力な父の姿勢に改めてやりきれぬ
思いを抱いたとしても無理はない。しかもその思いは衝撃や驚きで
はなく一種憎悪に近いものだったのではあるまいか。小説『道』に
形象化された老人の姿には、このような父に対する無言の反撥が
根底にあったと思われるのである。
 同時に、父一禎の行動も、家族を放置して家長としての責を全う
しなかったという点では、前年までの啄木の態度と軌を一にしてい
る。その結果、啄木は妻の家出という手痛い批判を受けたのが、一
方で父の血を受け継いだ自分の姿に思い当たるべきであったし、事
実思い当たったに違いない。
 小川の分析はみごとに「道」の核心にふれている。
父一禎の金銭感覚(布施と借金の思想)・生業の軽視(勤めに出る
気なしCf.独歩「二老人」にある隠居仕事)・家族扶養義務の軽視・
人間観(人は教化の対象)・責任と直視の回避の性行は啄木の魂に
食い込み、それを剔抉するためにかれは地獄の苦しみをしたのだっ
た(その最後の記録が「ローマ字日記」だ)。剔抉が終わったのは
つい三ヶ月前である。
 上京した父一禎は決別したはずの自分の権化のように映ったと思
われる。あのいとわしい自分にこのような形でまみえようとは、と
いうのが啄木の実感だったであろう。
一禎にとって息子は布施をくれる檀家総代といったところであろう。
何か仕事をして家計の足しにしようなどという気持ちは微塵も無い。
家族扶養義務などとうに捨てていた(実は戸籍上では今も戸主なの
だが)。かくて責任と直視を回避する一禎の性行は完全形だ。

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