石川啄木伝東京編1910年(明治43)その52
12日。この日は火曜日で非番らしい。西村酔夢が新編集主任
になった冨山房の若い人向け教養雑誌「学生」に短歌を送稿。
この日作ったと思われる新作8首、「スバル」09年5月号の「莫
復問」から4首、東毎と東朝に最近載せたものから各3首、1首。
計16首は粒選りの作品である。「仕事の後」を春陽堂に持ち込んだ。
郁雨から来た手紙に返事を書いた。くわしい近況報告だが、中に
「僕は顔色はあまりよくないといふ事だが、頭はいつも水の如く澄
んでゐる。殆ど無限に近い元気がある。」と言う。相当無理な
「二重生活」をしていること、文学的努力に非常に手応えを感じて
いることを思わせる。小説の試みもさることながら、やはり新しい
短歌創出の手応えと渋川の激励とが相まって、高揚している啄木
がいる。
歌集は売れなかった。まだ果は熟していなかったのだ 。
この月は若山牧水の『別離』が出る。土岐哀果『NAKIWARAI』が
出る。白秋は「創作」に傑作を寄せる。日本の近代短歌は今絶頂期
を迎えようとしている。
若山牧水から啄木に「創作」5月号への寄稿依頼があり、そのた
めの歌を作って送稿したのは非番の4月19日(火)であると思われる。
「創作」3月(創刊)号に刺戟されて歌作を再開したのはついこの
間のことだ。
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