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2020年3月31日 (火)

石川啄木伝東京編1910年(明治43)その82

 啄木がこの本で学んだことを小説に用いたことを示す最
初の明らかな証拠部分である。
 舘石の再現原稿では右の箇所は50枚目から51枚目にかけ
て書かれている。啄木がこの小説を5月30日に起稿したと仮
定すると、6月13日までに「六十何校」(仮に66枚として
おく)書いたのだから、1日平均4.4枚の執筆速度である。
これを参考に割り出してみると右の箇所は6月9日頃の執筆
ということになる。その前の引用箇所(「社会主義者」「無
政府主義」云々の箇所は54、55枚目)の執筆はそのあとと
なる。こうして啄木は『無政府主義』を6月9日頃以前に読
み終えていることがわかる。つまり天皇暗殺計画(幸德事
件)の新聞人間での発覚(6月3日ころ)を知るやいなやか
れは俊敏にも事件の思想的背景の研究を始めたのである。
 手始めが『無政府主義』であった(ついで煙山専太郎編
著『近世無政府主義』の購入・再読、『麵麭の略取』の再読を
したと思われる)。その研究過程がさっそく執筆中の小説
に反映したのである。こうして「我等の一団と彼」は啄木に
おける幸德事件の影響の最初期を探る上での資料ともなる。

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