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2020年3月29日 (日)

石川啄木伝東京編1910年(明治43)その80

 彼は事件の内容が極秘にされてゐたため幸德事件とは知
る由もなく、この陰鬱な時代に、社会主義者がひそかに活
動してゐたのだといふ事実を知つて、自分の考へてゐる社
会改造――かくならねばならんといふ夢も決して架空なも
のでなく、且急速な世の中の動きはどうやら誤らずその方
向を示してゐると、ひとり慰めてゐたのだつた。
 石川正雄が1936年(昭11)にこの読みを提示したのだが、
この卓見は本稿ではじめて引き継がれるのである。幸德事
件が「我等の一団と彼」に影を落とすのは四章からである、
と小川武敏は言った。石川正雄は三章の右の箇所であると
言う。しかし事件の影響が明確な証拠をともなって作品中に
現れるのは石川の指摘箇所よりももっと前である。
 三章の四分の三ほどのところで高橋彦太郎と「私」=亀山
との間にこんな会話が交わされる。
 「君は社会主義者ぢやないか?」
 「何故?」
 「剣持が此の間さう言つとつた。」
 高橋は昵と私を見つめた。
 「社会主義?」
 「でなければ無政府主義か。」
 作者は明らかに社会主義と無政府主義の区別を知っている。
啄木はこの区別に敏感で新聞人や司法関係者や議会議員の 
混乱をきびしく批判している(『全集』④-274、305、後出の
大島経男宛1911年2月6日書簡)。当時さっそく入手可能
な本でこの区別を明快かつ正確に説いているのは久津見蕨 
村の『無政府主義』だけである。したがって啄木は右の会話部
分を書いたときにはすでに『無政府主義』を読んでいたことになる。

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