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2020年3月27日 (金)

石川啄木伝東京編1910年(明治43)その79

 作品中に幸德事件の影響を具体的に認めた人は一人しか
いない。さきに挙げた石川正雄である。引いてみよう。
 恰度この小説を書いてゐる最中だつた。所謂幸徳事件の
検挙が初まつたのだつた。
 事は明治四十三年五月二十五日、信濃明科所在長野大林
区明科製材所職工宮下太吉の拘引に始まり、六月一日幸徳
秋水が湯河原温泉宿で原稿執筆中を検挙、爾来、全国に亘
る社会主義者の検挙に及んでいつた。当時啄木の勤めてゐ
た朝日新聞に幸徳検挙が掲載されたのは六月三日であつた。
……しかしこの簡単な報道さへも、その頃社会改造の夢を
抱いてゐた啄木には、軽々しく見のがしはしなかつた。こ
の影響はその時執筆中だつた小説にはつきり反映してゐる。
それは高橋が語る左の一節である。
 「時代の推移といふものは君、存外急速なもんだよ。色ん
な事件が、毎日々々発生するね。其の色んな事件が、人間
の社会では、何んな事件だつて単独に発生するといふこと
は無い。皆何等かの意味で関連してる。さうして其の色ん
な事件が、また、何等かの意味で僕の野心の実現される時
代の日一日近づいてる事を証拠立ててゐるよ。僕は幸にし
て其等の事件は人より一日早く聞くことの出来る新聞記者
だ。さうして毎日自分の結論の間違ひで無い証拠を得ては、
独り安心してるさ。」

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