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2020年4月 5日 (日)

石川啄木伝東京編1910年(明治43)その87

「……松永君は予想外に孤独な人だね。彼(あ)あまでとは思
はなかつたが、僕が斯(か)うして毎日のやうに行つてるのに、
君達の外には誰も見舞に来やしないよ。気の毒な位だ。画
の方の友達だつて一人や、二人有つても可(よ)さゝうなも
んだが、殆ど無いと言つても可い。……彼(あ)の子と彼(あ)
御母さんと――齢(とし)が三十も違つてゐてね。」こう彦太
郎は語る。楚人冠が「幸徳秋水を襲ふ」(東京朝日新聞
1909年6月8日)を書いた頃の秋水は孤立の極にあった(前述)。
 それも楚人冠から直接聞いていよう。前出東京朝日記事
無政府党の陰謀」も秋水の孤立ぶりを書きたてている。
しかも秋水とその母とは事実「齢が三十も違つてゐ」る。
 彦太郎はこうも言う。「随分苦しい夢を松永君も今まで
見てゐたんだね。さうして其の夢の覚め際に肺病に取つ附
かれたといふもんだらう。」彦太郎の言う「」=「野心
=「理想」の含意についてはすでに見た。幸徳秋水の「
はまさに無政府共産主義である。しかも「随分苦しい」夢
であるから「大逆」の「夢」さえ暗示しているのかも知れ
ない。「其の夢の覚め際」も意味がある。前出記事「無政
府党の陰謀」には「秋水変節の真相」「警視庁と秋水」の
見出し下に、秋水が運動から身を引こうとしていたという
ことも書いてある。また当時一般には「肺病」は死病とさ
れていた。それに「取つ附かれた」とは死に取り附かれた
の意味である。秋水の「死刑」は免れがたい、とは新聞人
の間では共通の判断だったであろう。

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