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2020年4月 4日 (土)

石川啄木伝東京編1910年(明治43)その86

 四章に行こう。この章では「我等の一団」の一人・画工
「松永」が登場する。
 「松永」と「秋水」という漢字の近似性にまず注意を払われ
たい。
 松永は「常に抑へても抑へきれぬ不平を蔵してゐた」と
ある。秋水は当代にたいする最大の「不平」家といってよ
いであろう。松永は「肺病」であった。1911年2月20日安
藤正純宛て啄木書簡にこうある。「……さういふ事を考へ
ると幸徳と菅(ママ)野が肺病だつたといふ事をしみじみ感
じます」と。1909年6月に秋水宅を訪れ「幸徳秋水を襲ふ」
を書いた杉村楚人冠が職場にいるのだから、啄木がこれを
執筆していた10年(明43)当時すでに秋水の「肺病」を知って
いたであろう。
 松永は「市ヶ谷の奥」に住んでいる。秋水は「市ヶ谷の奥」
(東京監獄)に囚われている。1909年(明42)1月15日啄
木は大久保余丁町の荷風宅を訪れた。留守だった。荷風は同
年3月自宅を舞台にした「監獄署の裏」を「帝国文学」に
発表している。啄木が広い東京の数限りない地名の中から
「市ヶ谷の奥」を運んだのは偶然とは思えない。ちなみに
「松永」のモデルの一人とされる名取春仙の住まいは南品
川海晏寺前である。

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