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2020年5月26日 (火)

石川啄木伝東京編1910年(明治43)その137

 しかし、以上のことがあからさまに読者につたわるよう 
であれば筆者は極度の危険に身をさらすことになる。掲載
する東京朝日新聞社も甚大な被害をこうむる。啄木はここ
で例のどんでん返しのレトリックを用いる。「今日の小説や
歌の……」とつづけるのである。このくだりに来るやここ
まで述べてきたことは多良学の読みのように一瞬にして染
め変えられる。
 こうしてこのパラグラフは二重に読むべきなのである。
 時代閉塞の現状において青年は性に逃避するのでなけれ
ば、過去(元禄)に逃避している。
 斯くて今や我々青年は、此の自滅の状態から脱出する為
に、遂に其「敵」の存在を意識しなければならぬ時期に到達
してゐるのである。それは我々の希望や乃至其他の理由に
よるのではない、実に必至である。我々は一斉に起(た)つて
先づ此時代閉塞の現状に宣戦しなければならぬ。自然主義
を捨て、盲目的反抗と元禄の回顧とを罷(や)めて全精神を
明日(みやうにち)の考察――我々自身の時代に対する組織的
考察に傾注しなければならぬのである。
 「怨敵」すなわち国家をめぐって折蘆ときびしく対立した
問題点が(一)から(四)までの論の展開を経て、ここで
鮮明に提起される。「我々青年は……遂に其『敵』の存在
を意識しなければならぬ時期に到達してゐるのである」と。
 しかも「」とは「天皇制の論理」をいただく国家なの
である。この最も困難な闘いの開始を啄木は呼びかける。
闘いは「我々自身の時代に対する組織的考察」から始める
べきだという。「組織的考察」とは「現在の社会組織、経済
組織、家族制度……」(前掲大島宛書簡)の総体的な研究を
意味するのであろう。手本としてはクロポトキン『麵麭の
略取』やエンゲルス「科学的社会主義」が念頭にあったで
あろう。それが「明日(みやうにち)の考察」なのだ。

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